東おたふく山〜保久良神社
2005年11月18日(金) 晴れ
2005年秋紅葉、近場散策第3回。 3日前にバスに乗り損ねてルート変更。しかもいのししに驚いて予定の半分も歩けなかったので、再び東六甲散策に。最初の予定通り、東おたふく山登山口まで芦有バスに乗り、あとは歩く。そんな迷うようなところじゃないのに、ここの登リ口でよく迷うから、今日は今までの間違いをあれこれ思い出して、こっちだと思う方へ進んだが、やっぱり間違い。15分ほどロスしてしまった。なんでいつもこんなところでと思うけれど、ようはきちんと分かっていない。きちんと覚えていないわけだ。だけどもう大丈夫。何年後に行っても間違えないぞ。当たり前か。

土樋割まで舗装林道を30分ほど軽い上り坂。明るい秋色の道は気持ちいいが、舗装道路は膝や股関節が痛くなる。マラソンや駅伝の人たち、よくあんな道を走れるなぁ。
この林道を歩いている間誰にも会わなかった。ここは土曜日曜なら若い人たちのグループも多いんだけど、年配の人はもっと山歩きらしい道を歩くのだろうな。
出会うのは、いのししも怖いけど、人が一番怖い。下半身裸なんて困るし、普通の人でもこちらがひとりのときは、通り過ぎるまで緊張する。

ようやく山道に取り付いてホッとしたら、上のほうで賑やかな声がする。たった15分ほどの登りの間にふたつのパーティに出会った。ここでは、以前、数年会わなかった人と偶然会って驚いたことがある。上から下りてこられる人がいたので、お先にどうぞとよけたら、「まぁ、のんびぃさん!」久しぶりで懐かしくしっかり握手。
先方は手袋をはずされ、そんなのいいのにぃと叫んだ私は軍手のまま。アーァ恥ずかしい。お里が知れるとはこういうときに言うのねぇ。 いつものことだけど、とっさのときの言動がその人間の本当の姿だからなぁ。
葉を落とした梢の向こうに山がすけて見える。真っ赤な紅葉はあまりないけれど、黄色、オレンジから、ピンクに近い赤。六甲山の秋も捨てたものではない。
以前は、ロックガーデンから歩いて東おたふく山にも上って、最高峰まで。その後、裏六甲側の魚屋道(ととやみち)を有馬まで、歩いたこともあったんだけど・・・もう10年以上昔のこと。
六甲銀座と呼ばれるそのルートは好きだった。芦屋から30分ほど住宅街を抜け林道を歩いた後、岩がごろごろのロックガーデンと呼ばれるところを登る。直登攀という感じで一気呵成に高度をかせぐのが気持ちよくて、山と山のすき間からのぞく街と海が1歩ごとに広がり、視界が広がるのを実感できて、とても楽しい登りなのだ。最後は有馬温泉で汗を流して極楽極楽。
ロックガーデンは幼児でも登れる道だったが、地震の後、私のコンパスでは跳ばないと足の届かないところが一ヶ所できて、平地でもバネのない私は跳べないのに、ぐずぐずしていたら後の人の迷惑になるし、そのルートは諦めた。その後楽なルートでもそんなには歩けない。前回と今日の2回合わせても六甲銀座コースの半分くらいだ。近くをバスが通っているからそんなこともできる。ありがたいことだ。



東おたふく山山頂から東の方のパノラマ、前の低い山はごろごろ岳、我が家はその陰になって見えない
山腹の家々は芦屋市奥池町、昔別荘地として開発されたそうだが、今は常住の人も多い
風吹岩から見るより当然大阪の街も海も遠い

西側に連なる峰々、右端の鉄塔のあるところが最高峰
数年前まで4本建っていた西おたふく山の鉄塔が大小2本になっていた

東おたふく山山頂標識<標高697m> 昔この山はススキがいっぱいだったが今はちらほら
小さいササが全山を覆っている
少し南に下ったところが、雨ヶ峠。南の方から登って来て、東おたふく山に上らずに最高峰を目指すなら、ここから左の道を進んで、さっき私が登った北側の土樋割を経て、七曲のきつい登りを上る。東おたふく山山頂では女性4人組と2人組、男性ひとりを見かけただけだったが、さすがに正午過ぎ。平日でもここでは何組もが昼食中。なんだかうれしくなってしまった。上でお弁当を済ませてきたので、私は素通りだけど。
植栽だろうけど、今まで見た中では一番鮮やかなカエデの紅葉。ここでお昼にする人の気持ちが分かるなぁ。


このハイキング道はゴルフ場を突き抜けて通っている。ゴルファーは陸橋をカートで・・・
ハイカーはイノシシよけのトタンや網の扉が張られた中をイノシシの気分で歩く

人間がすっぽり入ってしまう深さの道 クヌギに見えるけど、赤く紅葉
荒地山への分岐 東側に見える荒地山
横池へ寄らずにまっすぐ風吹岩へ。3日前に岡本からここまで往復したばかり。猫とイノシシに驚いてすぐに下りたが、今日は猫もイノシシも、人間も誰もいなくて、景色をぐるっと見渡しただけですぐに下りた。紅葉は目に見えて進んではいないが、落ち葉が増えたようだ。
金鳥山の鉄塔に前回見落とした紙の札が貼ってあるのに気がついた。このあたりで鉄塔といえば高圧線と思い込んでいたが、違ったようだ。
『 旗振山の名は江戸末期、近代的通信機関の整備されるまでの通信の場で、大阪堂島の米相場を播州岡山方面に伝えるために大きな白い旗を振って伝達したことに由来している。大阪、尼崎、武庫川堤、金鳥山、錨山、須磨などに中継地があった。』
旗振山の名前を聞いたことはあったが、ここがそうだったのか。見上げてみると、見張りやぐらのように上に人が立てるようになっていて、電線は通っていない。ふ〜ん、保久良神社の‘灘の一ツ火’にしても、商都大阪への船の出入りのためだし、山といっても、庵を結ぶような静かな場所じゃなくて、経済活動の第一線、随分開けていたのだ。
3日前と同じ紅葉どおりを通って岡本まで下りた。落石注意の看板はイヤだが、駅に多少は近いし、舗装も少ない。