倉吉線廃線跡ウォーキング
2011年4月9日(土) 雨 のち 曇り
バスツアーで初めての鳥取中部行き。目的地までひたすら高速と一般道を走ります。途中のパーキングエリアでは満開の桜に迎えられましたが、人形峠を越える辺りではまだ沢山の雪が残っていて驚きました。
桜並木のサイクリングロードで自由散策と昼食と言われバスから下りました。バスから下りた私たち以外誰もいない静かなところ。見まわしても動くものは何もありません。桜は5分咲き。下草はきれいに刈り取られていて、春の野草がいろいろ顔を出していました。何人かの人はつくしやよもぎ摘みに余念がありません。ま、人も犬もこんなところでタチションすることはないのでしょう。 このまっすぐの道路、横に立っている‘かみおがも駅’なる標識。ここも元倉吉線跡地だと思われます。何故かそういう説明はありませんでしたが。


廃線跡ウォーキング
ウォーキング出発場所
右に転がっているのは踏み切りの箱だそう・・・?!
しばらく歩いて振り返る、まっすぐの線路だ
朽ちた枕木の中に水がたまっていたり
濡れて滑ったり、外側の枕木に打った大きな釘に
足をとられたり、見て歩かないと危ない
バス満席で46名の参加者。ガイドさんがふたりついて半分に別れて案内してもらいました。線路を残した廃線跡を歩くツアーは珍しいのですとガイドさんが何度も言われ、宝塚と武田尾間の廃線跡にもほぼ線路が残っていると思いましたが、自分が行ったときの写真を見てみると、あらら、枕木はありますが、線路はありませんでした。何故線路を残したままかという質問には、ガイドさん、「さぁ〜。」でしたが、誰かが、高くつくからよと応えていました。きっとそうでしょうね。
地域のみんなが切望した線路の開通
民家のすぐ脇でも問題にされなかったという
幻想的な竹林という説明・・・面白かったのは
根を横に張る竹林傍の線路工事は大変で
塩を土に混ぜたり海水を撒いたりしたのだとか
廃線跡から眺める山々
晴れれば見えるという蒜山三山が雲に隠れて見えない
当時のまま残っているプラットホーム
地蔵六体 石のカエル



ここのように市がトンネルをふさいで鍵を掛け、ツアー客にはヘルメットとライトを貸与して管理しているのと、宝塚、武田尾間の廃線跡とはやはり全然違います。 トンネルも多く、長く高い鉄橋まであって、JRがまったく管理していないので、危険でしょうね。 入り口に、危険だから通らないようにと大きな看板が立っているのを無視して、しかも、看板を引き抜いて放り投げてあったりします。そこを歩くのですから、あくまでも自己責任。旅行社が不特定多数の参加者を募ってウォーキングツアーとはいかないでしょう。

ぴったり蓋をされたトンネル入り口 中から出口に向かう
トンネルを出るとすぐに線路は途切れ、下を道路が走っています。はるか右手のほうに‘山守駅’があったそうで、その駅を舞台にした松本清張の『百円硬貨』という短編があるとか。 1912年に開業されて少しずつ延長され1958年に山守駅まで開通した後、地元の人の足となって大いに利用されたそうですが、車社会の到来によって利用客が減り、1985年についに廃線となったそうです。


関金資料館

もと医者の屋敷だったという立派な家が資料館となっています。倉吉線関係の資料、たたら製鉄資料、南総里見八犬伝のモデルといわれる里見家の伝承についての説明などが展示されています。
マイペースとはいかない団体ウォーキングはちょっとつらかったです。廃線跡なら少しゆっくり目に歩くかと期待したのですが、ガイドさんは気をつけてとおっしゃるけれど、結構な速さでした。ツッパリを通りこして痛くなり始めていた太ももはその後の温泉入湯でゆっくりもみほぐして楽になり、少し汗ばんだ肌着類を着替えてさっぱり。バスでぐっすり眠っているうちに大阪に帰ってきました。この寝ているうちに帰り着くというのがバスツアーの一番ありがたいところですね。