変形性股関節症手術入院日記

退 院 日(手術後12日目)

2009年3月 2日(月) 雪 
昨日から札幌へ来てホテル泊まりにしてもらったつれあいが、昨夜夕食時、みんな揃って食事中に現れて、千両役者登場並みの視線を浴びた。明日持ってきてと頼んでいた私の大好きな大阪のもなかをホテルに寄らずに届けてくれたらしい。
今まで皆さんからいただくばかりだったおかずやデザートやおやつのささやかなお返し、というより、いただいた人はとうに退院という人も多いわけだから、仲良くしていただいた足ともさんに明日退院ですのご挨拶。

今朝も朝食後すぐに石部先生による回診。足に入っているワイヤーは一生このままで大丈夫と太鼓判を押され、この先すっかり忘れて思い出すこともなさそうだ。
いよいよ退院ですね。どなたかご家族は迎えに来られますかと尋ねられた。
夫が来ますと答えたら、では安心ですねとにこにこ。うーん。やっぱり安心だよね。いつもひとりでやってきて、入院も手術もひとりだということは、お分かりなのかもしれない。貯血や入院の予定表に、退院時にはできるだけご家族に迎えに来てもらうようにと書いてあったから、ひとりで大丈夫なのにと思いつつも、過去、ひとりで帰る人に何かむずかしいことが起こったのかもしれないと、不本意ながら、つれあいに3月1日と2日には予定を入れずにあけておいて欲しい。札幌まで迎えに来てもらいたいとお願いしてあった。

入院時、1階の会計さんから、退院の月曜日は大変込み合うので、請求書が出るのは午前中は無理かもしれないと散々言われていたが、少し遅めの夕方の飛行機は取っていても、ゆとりを持って動きたいので、できるだけ早く、11時頃までにはと昨日から直接会計窓口に行ってお願いしておいたので、9:45に早々と請求書を持ってきてくださり、10:00には会計精算。用意していた金額の半分以下ですんで、ちょっと信じられない思い。健保の限度額適用認定の有難さを思い知る。これだけの手術。これだけの治療や検査を受けて、まもなく完治する予定で、本当に有難い。

昨年5月8日の初診から貯血、入院手術とずっと同じ日、同期の3人で記念撮影。これも言いだしっぺはTさん。何だか照れくさいけど、いい思い出になるね。私のブログに小さく載せるのにOKをもらってありがとうございました。

予定より早く来てくれたつれあいに、スーツケースに荷物を詰めてもらい、着払いの伝票を書いて宅配便に電話。私たちが出た後で取りに来てくれるらしいので、病室の隅におかせてもらって、隣のベッドの人に後のことをお願いした。

いつもの地下鉄南北線とJRを乗り継いででは、大分歩かなければならないから、初めて直通の空港行き高速バスを利用することにして、停留所のある真駒内駅前までタクシーで。その停留所は屋根はあるけど吹きっさらしの外なので、時間まで、駅内のバス待合室のベンチに座って待つ。バスの時刻表は同期のTさんにいただいて分かっているから安心。彼女は全くすべてに抜かりなく準備のいい人で、私は他にも彼女からいろいろ教えてもらってとても助かった。

病院の中からはすごい地吹雪も見たけれど、私が見た感じでは、今日も結構ひどい雪降りに見えて、飛行機が飛ぶか、バスが動くか心配したが、中学時代に北海道で暮らしたことがあるつれあいに、このくらいで何でも止まってしまったら、北海道では暮らせないと笑われてしまった。
11:10駅前発のバスは札幌市内に入っていかない路線のようで、私の見たかった雪の林や森をたっぷり車窓から楽しめた。12:20頃空港について、先ずは腹ごしらえ。札幌ではラーメンだろというつれあいに合わせて、ラーメン。お隣のベッドの札幌在住の人は空港のラーメンはおいしくないと言っていたが、いえいえおいしかったですよ。
食後はじっとしていたい私と違って、つれあいは散歩と称して空港内を歩き回り、コーヒーショップにも入って、待ち時間の長さに落ち着かない様子。
テレビで見たことがある生キャラメル待ちの行列を見かけ、行列にはとても並べないからと、Tさんから得ていた情報に従って、直営カフェで飲み物セットをふたりで頼んで、ひとり3箱買う権利ができた生キャラメルと他の商品をいくつか買い込んで、近くの宅配便やさんで箱を買い、バラバラと詰め合わせて友人知人親戚に、話の種にと送った。
喜ばれもしないかもしれないけれど、話題性はあるでしょ。日ごろの不義理を北海道土産ですまそうとするせこい行動だけど、お許しあれ。

8:00前に神戸空港に到着。まっすぐ家に帰る。
ご飯は炊いてあるというので、新千歳空港で買ったイクラとイカの塩辛、ニシンの切り込み(麹の入った漬物風)などで、軽くお茶漬けと思っていたら、退院おめでとうと、神戸ワイン赤と赤飯が出てきた。これが精一杯だというつれあいに、感謝感謝。何だかちぐはぐではあるけれど、我が家での食事は落ち着くね。
500件も入っていたほとんど不要なメールの中から、知り合いのメールを探し出してお返事などしているうちに、夜は更け、日付が変わる頃就寝。2週間の入院生活は終わりました。