
子どもの頃から鼻、のど、耳が弱く、よく鼻をクンクン言わせたり、扁桃腺をはらしたりしていました。症状が出るのは鼻かのどで、耳は右耳が少し難聴気味というだけで、苦痛を伴うような病気になったことはありませんでした。それが、中年過ぎてから2回、44歳と59歳のとき、真珠腫性中耳炎の手術をしました。1回目については、遠い記憶を呼び覚ましながらなので、詳しくありません。2回目は、暇にあかせて日記を書いていたから、入院生活全般について、本人以外はあまり興味もないような内容で、専門的なことは何も分かりません。
入院日記をここに公開する気になったのは、今聞こえる左耳も真珠腫になる可能性があるのだろうかと、調べているときに見つけたサイトで、患者や家族の入院日記を掲示しているのを見て、私の経験も誰かの参考になるかもしれないと思い、管理人さんのお許しを得て載せていただくことになったのがきっかけです。
幼児患者のお母さんがご自分のご経験から、お互いに励ましたり支えたりできる患者同士が集える場をめざして立ち上げていらっしゃるサイト<真珠腫の輪>です。高齢者の事例が少ないようで、手術後大分経っていますが、何かの参考になればうれしいです。
手術に至るまで
44歳夏の終わり頃、それまでにも多少違和感を感じていた右耳が、 まるでプールに入ったときみたいに、音がこもって聞こえるようになり、
痛くも痒くもないけれど、もともと聞こえが悪い上にますます聞こえにくく なって、意を決して近くの耳鼻科に行きました。
1ヶ月以上、鼻から耳に空気を通す治療を続けても、症状は改善されず、 レントゲン撮影の結果、真珠種だろうという医師の診断で、
手術によるしか治療の方法がないと言われ、 深くも考えず、入院手術と進んでいきました。
医師の説明では、聞こえが悪いのは、子どものときに軽い中耳炎にかかって、
内部の耳小骨(じしょうこつ)の成長発達が妨げられたのだろう。真珠種の原因ははっきりしないが、外耳なら耳垢となって何の問題もないものが、中耳の奥にどんどんたまって、顔面神経痛になったり脳の骨を溶かすことまであるとのこと。
鼓膜と耳小骨を人工物に取り替え、聞こえをよくし、出口をふさがれて中にたまってしまった耳垢=真珠腫を取り除く手術だということでした。
子どもの頃といえば戦時中か終戦直後か。 親は別に痛がりもしない子どもの耳など気にしなかったのだろうと考えましたが、
最近読んだ耳鼻科関連サイトによると、 子どもの鼻の調子が悪くていつもつまり気味、よく鼻をすするような子どもは、
鼻と耳の空気の抜けが悪く、耳垢が奥へ入って炎症を起こし、慢性中耳炎になることが多いとか。
そういえば、母が私の鼻すすりを気にして、小学生のころ、 しばらく学校に遅刻して病院に通わせられていましたが、
1年たっても症状が改善されず諦め、もともと本人は鼻すすりなんて気にしてませんから、喜んで治療をやめたということがあったのを思い出しました。
母はやるべきことをやっていたのです。 医者の診立てがよくなかったか。昔は治療の成果が上りにくいやり方だったのか。
手術することになった医院は、近隣に名医と聞こえていた耳鼻咽喉科医院で、子どもからおとなまでいつも待合室はあふれるほど満員。
あまり病院や医者と付き合いがなく、病気で必要なら入院手術と単純に考えました。後で分かったことだけど、前の初代院長が腕も人柄もよく、人気が高かったけれど、
その子息で若先生と言われる人が院長になってからは、元からの共同経営の医師と考えが合わず、その人が出て行ってから評判はがた落ち、患者も激減していたそうです。
待合室には、長椅子1台に1個、大きな台つき灰皿があって、いつも煙草の煙がもーもー。ここは耳鼻科でしょう? 煙草の煙がのどや鼻にいいわけないでしょう? 素人でもこれはおかしいと思ったのですが。
入院前日になって、腕は悪くないそうだけどと言いつつ、友人が教えてくれて、自分の家族は別の耳鼻科に通うようになったから、その先生のセカンドオピニオンをどうかと勧められ、隣の市の医院を紹介されました。
当時はまだ日本では、医者同士のつながりが強かったのでしょう。今もかもしれないけれど・・・「やってくれると言ったの?それなら大丈夫。やってもらいなさい。」というお言葉でした。
入院 12月12日頃
曇り空の寒い日、午後入院。 右耳の後側を剃髪され、少し採血検査など。
翌日、手術。 局所麻酔で、朦朧としてはいるけれど、多少意識がある状態で、医者は顕微鏡で見ながらの手術。痛かったら言うようにと言われたから、ときどきは痛い!と言い、 時々は寝息を立てて寝入っていたそうで、あとで豪傑だと言われました。
24時間は頭を動かしてはいけないと、食事も寝たまま上向いて。 なによりトイレに行けないのがつらかった。どうしてもトイレにとがんばって、看護婦さんがそっと頭を持って トイレに連れて行ってくれました。すっとして、その後熟睡。
安静は最初の24時間だけ。あとは横になっていなくてもいいようで、 テレビを見たり、本を読んだり、少し編み物をしたり、気ままに過ごしました。
お風呂がなくて、シャワーも浴びられなくて、 冬だからいいけど、夏だと大変だと思いました。
毎日、洗面器にお湯を汲んで、濡れタオルでからだを拭きました。 洗濯、食器洗い、などなど、主婦の仕事を何もせずにいると、
長年の冬場の定番主婦湿疹が完治。 なんだ、主婦仕事をサボれば湿疹は治るのかと目が開かれ、その後、湿疹がひどくなれば、何日も水に触らないぐーたら主婦に変身。
痛くもつらくもない入院はラクチンでいいことだらけでした。
ひとつだけ、えぇーっと思うことがありました。 手術後1週間経ったころ、診察の際、「右側の舌のしびれはいつ取れますか?」と質問したら、 先生怒って大声で、
「そんなこと今まで言った人はいない。何言ってるんだ。」
何〜それ〜って感じです。 つまり、舌がしびれるようなことをしていないとおっしゃりたいわけですか。
私にしたら、この手術につきもののことかもしれないと思っていたわけで、 こりゃやばいのかも・・・と心配になりました。
それに、入院中に怒鳴られるのって、とても不安です。 しびれは1ヶ月ほどで取れたし、物が当たれば分かりますが。
以後右の舌は味覚がありません。
手術後
2週間の入院と言われていたのが、12日で退院。 違和感はなくなったし、その後15年間普通に暮らしていたのだから、手術はうまくいったのだろうと思います。
聞こえは、手術前より悪くなりました。 手術前、医師は、聞こえもよくなるだろうと言っていましたが、その後、本などで調べたら、よくなることのほうが少ないと分かり納得しています。
手術と直接関係あるかどうか分かりませんが、 耳鳴りがするようになって、年とともに音量大きく、両耳になりました。
両耳だから、手術とは関係ないでしょうね。 ちなみに、耳鼻科で聴音検査をするたびに、耳鳴りは大きくなりました。今でもそうです。必要で調べてくださっているのだから、仕方ないことだと思っています。
3ヶ月に1度、セカンドオピニオンをお願いした先生のところで、 その後の定期検診をしてもらっていましたが、耳鳴りの話をしたら、老先生、そんな大事なことどうして今まで言わなかった。大変なことだぞって、怒り出して、聴音の機械で、耳鳴りの音はどれかと言われますが、音質が全然違うし、耳鳴りの音は、左耳はミンミンゼミのよう、右耳はせせらぎの音のようで、ゆらぎがあって
機械的な一定の高さの音ではないから、これだって感じはしないのです。違うな、違うなって思っているうちに終わってしまって、
聴音前よりも耳鳴りの音が大きくなったと言ったら、ますます先生怒ってにらんで、それ以後、耳鳴りの話はできなくなりました。
怒らずに、こちらの話を先入観なしに聞いて欲しいし、どういうことか説明して欲しいけれど、
偉い先生はそういうことはできないようです。 阪神淡路大地震が起こって疎開したりして、2〜3年くらい耳鼻科とご無沙汰しました。再発が分かったのは、手術から15年後のことでした。
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