嵯 峨 野 紅 葉 散 歩
2008年11月28日(金) 晴れ 後 曇り 後 時雨

化 野 念 仏 寺

来るたびにあまりにきれいに整備されて、もう2度と来ないと思った10数年前より一段と美しく整えられ、公園墓地の趣き。紅葉が見頃という情報で、もう次はないとやってきた。
   
8000体の石仏石塔は、いにしえの京の都の外れ、葬送の地だったここに葬られた人々のお墓だという。風葬から土葬へ。山野に散乱埋没していた石仏を明治中期に地元の人たちが集めて供養したのがはじめらしい。
石仏が並べられた垣根の中では写真撮影禁止というので、外から撮ったのが上の写真。死者に対する冒涜と言うより、狭い通路で動かなくなるカメラ抱えた人たちを排したいからのように思える。
   
紅葉黄葉真っ盛り
石仏表面は風化で彫られたあとがほとんど消えている
寺域最奥に立派な竹林の中を上る階段があった

大 覚 寺、大 沢 池

嵯峨野の有名寺院の中では少し離れたところにあり、30数年前に1度来たことがあるだけの大覚寺。
平安の昔、嵯峨天皇の離宮としてはじまり、南朝の御所でもあって、今も正式名称を「旧嵯峨御所大覚寺門跡」という。ずっと天皇、皇族とのかかわりが深く、寺というより御所と言った方がよさそうなたたずまいである。
今回ここへ来たのは、大沢池の紅葉が見頃というので、池だけ見られればよかったのだけど、大覚寺の一部だから明智門から入って、と言われ建物内に入ったのが間違いだった。とにかく広い。大きい。たくさんある建物をつなぐ廊下をぐるぐる行ったり来たり。立派な襖絵があり、名宝展開催中でもあり、くたびれてしまった。
   
明智門を入ると大門前にまるでハイマツのような松 嵯峨御流本家とあって、入り口横に飾られた生け花
唐門 唐門からまっすぐ入る御影堂玄関の天井絵一部
御影堂前の左近の梅 右近の橘
御所であれば当然あるのでしょう
<余談>ただ普通は左近の桜と言われるけど、もともとは1年で最初に咲く花として梅が珍重され梅だったのが
歴史が進むうちに桜に変わったのだとか





ウサギの遊ぶ絵がかわいい

建物から一ヶ所池のほとりへ出られるところがあったが、知っている人は靴を持って歩いておられた。入ったところからいったん出ないといけないというので、出口へ急いだ。知らないということは何と不便なことか。
   

足が痛い。疲れた。周囲は1キロあるという。歩けるかな・・・無理だろな。お寺の建物の中を順路どおりにまじめに歩くんじゃなかった。しまったぁとばかり思う。
池のほとりを歩き始めて10分ほどで雨が降り出した。は〜ぁ・・・これまでぇよぉ〜♪ 傘は持っているし、少しくらいの雨なら大丈夫なフードつき防寒着を着ている。だけど、もう歩き続ける気力がない。タクシー運転手が傘を持って迎えに来てくれたが、まず明智門へと言わないでほしかった。足が弱いことは分かっているはず。中でくたびれさせて長時間貸切をねらったんじゃないかと、悪意に感じてしまった。紅葉紅葉と言いつづけたのになぁ。
今まで京都や奈良で使ったタクシーでは、好意と善意しか感じたことがなかった。すごい人出で道が混んでるし、厳しい状況は分かるけど、いけないんじゃない?嵐山と言う第1級の観光地では客の気持ちより、自分の稼ぎなのか?ちょっと残念な嵯峨野散歩になった。