2010年2月3日(水) 晴れ ときどき 小雪 <‘寺田屋’の続き> ‘左阿弥’で昼食 東山山麓円山公園の奥にある料亭で昼食。多分個人で昼食というわけにいかないところじゃないだろうか。ツアー代金9000円のうち半分くらいはここの支払いか、いやそれほどでもないかな。
龍 馬 の 墓
ちょっとしんどいとは知っていたが、これほどとは思っていなかった。いや、大したことはないんだけどね。元気な人なら。 手術後初めて久しぶりに団体行動をするにはきつかったということで。
幕末に、各藩が殉難者を東山山麓に祀ったのが起源で、明治元年、維新の尊王志士たちの霊を祀るために建てられたという京都霊山護国神社境内にあたるここに300余の墓があるそうだ。 維新後だから当然、尊王倒幕派で維新に貢献があったとされた人たちが祀られているのだろうが、中でも、坂本龍馬と中岡慎太郎は特別扱いに見える。 桂小五郎の墓は妻幾松とともに一番上の段にあるらしい。ツアーの仲間では誰も上がった人はいなかったようだ。
維新の志士の中でも特別人気の坂本龍馬。彼がもっと長生きしていたら、どう生きたか。どんな世の中にしようとしたか。誰でも思うことだろうけど、歴史にもしもはないという。濃く太く生きたその短い生涯をしのんで、自分の生き方の鑑とする人も多いのだろう。 墓地の下の幕末維新ミュージアムと銘打った霊山歴史館の大龍馬展がコースに入っていて、この後、入館。展示物を見てまわった。 資料約100点というのだが、一番の目玉が竜馬を斬った刀らしかった。さびついた脇差で、血のあとをわざわざ説明してあるのには参った。2階展示場には龍馬と中岡慎太郎が斬られた近江屋の模型だかパネルだかがあるということだったが、気分が悪くなってきたので建物から出て、駐車場へ戻った。 真実はしっかり見つめるようにというのとはちょっと違うように思う。手紙や新政府綱領八策などは複製らしいし、龍馬に関する本物が斬った刀というのでは悲しい。 その後もずっと気分は悪かったから、食べてすぐ急坂と石段を上ったのがよくなかったのかもしれないのだが・・・ 実 相 院 京都でも大分北になる岩倉の実相院が最後の見学地。門跡寺院であり現存する女院御殿(皇后のお住まい)として風格あるたたずまいを見せるとパンフレットに書いてある。20年位前に一度来て、もっと小さい寺だと思っていたが、意外に大きく立派だった。 だけど、京都の北の地で、この冷え冷えとした部屋。どんな風に暮らされたのだろうかと庶民的な心配が先立つ。
坊内は撮影禁止なので写真は庭だけ。それにしてはいやに詳しい説明、でしょう? 寺田屋でもそうだったけど、特別ガイドがついて詳しい説明をちょっと漫談風にしてくれた。 実相院で今回特別展示されたのが、 くっきり残っている障壁画の‘上段の間’と天皇直筆の「忍」の書が掛かる‘書院’。龍馬特別展としては、代々の坊官が日々綴ったという「実相院日記」の実物が展示されている。整ったきれいな字で、と言ってももちろんまったく読めないが、実相院の里坊にも住んだ岩倉具視など公家方と徳川方双方からの情報が詰まっているそうで、第一級の資料なのだろう。 北の端から南のJR駅まで帰るだけ。初めての街なら必死で目を凝らして車窓を眺めただろうが、河原町通りをまっすぐ南下するだけ。到着まで寝ていた。 今日一番うれしかったのは龍馬の墓に参拝したこと。棺に入れて土葬されたそうだ。神社だから拍手を打ってと言われたが、普通に手を合わせただけ。それにしても、墓の横に賽銭箱のあったのが解せない。あ、そうか。それらしい名所にはよくコインがのせてある。せっかくの志を盗りたくなるような不心得者が出ないようにという配慮か。 維新のすべての出来事に強い関心があるわけではないので、幕末動乱コースはやめておこう。世界遺産コースのいくつかは、一昨年個人で行ったこともあるし、桜の時期のほうが楽しそうだし、寒い2月の京都はもういいわ。