京 の 冬 の 旅
2008年3月2日(日) 晴れ  六波羅蜜寺、六道珍皇寺からのつづき

知 恩 院
三門

三門2層目の欄干から人影が見えることは普通ないのだろう。“冬の旅”の特別拝観でここから京の街を一望できたのはとても気持ちがよかった。横の人が「おぉー、絶景。」と大声を出した気持ちが分る。私も言いたかった。上り下りの階段が急でよくすべって、3人前のおばさんが、最後の1段まで1段下りるたびに「キャー、怖い!」と叫び続けたのがとても異様で、友達夫妻らしいふたりが「気をつけて、後ろ向きに下りたら大丈夫。」などと声を掛けながら、なんとも賑やかなことだった。
残念なことにみごとな外の景色を写真に撮るのは禁止で、要はカメラを出すなということ。欄干が古くて危険だからということだったが、写真を本格的に撮ろうとする人は、まわりの迷惑考えず、危険を顧みずの人がいるから、やむなしか。

楼上内部にはびっくり。壁、天井、柱は極彩色で彩られ、壁際に並べられた16羅漢像は圧巻。知恩院七不思議のひとつと言われる白木の棺とその中に入れられていたらしい大工の五味金右衛門夫妻の像2体が釈迦如来像と一緒に並んで安置されている。
夫妻は三門を建立するに当たってとても立派なものにしたので、かかりが当初の予算を大幅に上回って、その責を負って自害したといわれているらしいが、その何が不思議なのかよく分らない。


知恩院は山の斜面に建っているので、上りを楽してこの御影堂の前までタクシーで上がった。道に進入禁止の札と警備の人が立っていたがタクシーは大丈夫。京都の観光地はどこもそう。特別混んでいる時期は進入禁止や駐車禁止になるところが多いが、タクシーはOK。足の悪い人が使うから福祉の意味でということではなく、京都市の観光経済が潤うという意味合いだろう。
今回、御影堂へは入らなかった。鴬張りの廊下や左甚五郎の忘れ傘などで有名なお堂だが、いつでも入れるし、とっても広くて時間がかかりすぎる。

右の経蔵も今回の特別公開建造物。昔、普通に中に入った気がするけど、絶対と言えるほど確かじゃない。
真ん中にどっかり据えられたマニ車に似た八角形のくるくる回せるお経入れには、6000巻のお経が収められ、これを一回転させると、全巻を読誦したのと同じ功徳を得られるのだとか。ここもまた驚くばかりに極彩色に溢れていた。現在は、修復半ばらしくて、極彩色の部分とはげかかった部分とが混在している。建物は2層に見えるが、下の屋根に見えるのは裳階(もこし) で、内部は1層。6000巻入っているという書架を支える木像が楽しい。名のある仏師が彫ったのではないのか、説明はなかったが。
もう既に10段登ったがまだ続く石段
迷ったが、もう2度と来ることはないだろう
意を決して手すりにつかまってゆっくり上った
左写真の石段を登りきると、前に続く法然御廟への石段
現在修理中で登れない
左に少し見える石段から勢至堂へ続く

勢至堂は知恩院で最も古い建物だそうだ。
現在の私たちには当たり前のような凡夫こそ往生できると専修念仏を唱えた法然の思想は、当時受け入れられず、流罪になり、苦難をなめ帰った後に、最初にその教えを広めたこの地で入滅となった。そこに建つのが昔の本堂である勢至堂。
今回はその建物と本尊・勢至菩薩坐像が公開された。パンフレットなどの写真ではとても美しい瀟洒な冠をいただいた菩薩像だけど、暗くて姿はよく分からなかった。
写真右側の崖の上にある法然御廟が今修理中だから、お墓にあたる部分がここに移されているともいう。


緩やかにカーブした女坂を下る
男坂は三門までまっすぐの急な石段がこの右の方にある
女坂の下のほう


知恩院へは小学校の修学旅行も含めて3度来ている。修学旅行で古都の寺社めぐりをした生徒のうち何割が、いいな、また来たいなと感じるだろう。歴史に関心を持ってもらうなら、もっと違う方法のほうがよさそうだし、修学旅行で古いお寺が大嫌いになったという声を聞いたことさえある。
宇治の平等院鳳凰堂で、20歳くらいの若者ふたりが、しきりに、「すごいなぁ。」「千年も前にこんなのが建ったのか。」「千年そのまんまかぁ。」何度も繰り返し感嘆しているのを聞いて、こちらも建物とふたりの若者の両方に感嘆したことがあったが、文化財は、興味のある人が興味を持つ年代になって自分から進んで訪れるのが一番いいと思う。

“京の冬の旅”企画で特別公開するところは、他にも何ヶ寺かあって、行ってみたい気は満々だけど、3月18日で終了の予定。今年はもう無理かな。

六波羅蜜寺、六道珍皇寺へ