京 の 冬 の 旅
2008年3月2日(日) 晴れ  東寺からのつづき

六 波 羅 蜜 寺
入り口を入ってすぐガラス張りの拝観案内
左写真は口から6体の阿弥陀仏を出す空也上人像、右は出家後の平清盛像

平安時代には東山山麓のこの地に平家一門の屋敷が並び、鎌倉時代には六波羅探題がおかれ、史跡として名高い場所らしい。だけど今は、車1台がやっと通れる狭い路地のような通りから入り口を入ると、新しい宗教施設のような感じ。
寺の入り口(門) 本堂

しかし、道路のすぐ際に立つ本堂は鎌倉様式をよく残した重文で、奥の宝物館の展示物は面白かった。天暦5年(951年)にこの寺を開いた空也上人ゆかりの寺宝というのは、鹿の角をつなぎ合わせた杖で、いつもは非公開らしい。口から阿弥陀仏を出す像や大きな閻魔大王の像が珍しくて楽しい。

歴史はすごいが町衆に愛されて残った寺という印象    今回はじめてみた梅




六 道 珍 皇 寺

六道珍皇寺も、狭い路地のような細道に面した間口の狭い寺だけど、小さい朱塗りの門があって、寺らしさは感じる。タクシーが門の中まで入ってしまったので、帰りに撮ろうと思って忘れ、門を撮り損ねてしまった。
門前一帯を「六道の辻」と呼んで、お盆の時期には「六道詣り」といわれる精霊迎えのため、10万人の参詣人で賑わい、霊を現世に呼び戻すといわれる「迎え鐘」の音が響き渡ったそうだ。
奥の建物で、壁に掛けて見せてもらった寺宝といわれる地獄絵「熊野勧心十界図」や「珍皇寺参詣曼荼羅図」は、文字の読めない昔の人々に布教に赴いた尼僧が持ち歩き説明した絵図だと、多分京都市のガイドに当たる人たちだろう、みなさん熱心に説明してくださった。
地蔵たち 左の方、小野篁の井戸

かつては、名も無き人々の亡骸の集まってくる野辺送りの地として知られていたらしい。平安朝の官僚・小野篁(おののたかむら)は小野小町の祖父にあたるといわれる人で、歌人でもあり、一方で野狂というあだ名を持つほど奇行が多く、閻魔様に仕えて夜はここの井戸から冥土へ通ったという言い伝えがあるという。普段非公開の本尊・薬師如来像や地獄絵、井戸、播磨の赤松家ゆかりの刀などが特別公開された。
迎え鐘、出ている紐を引っ張ると鐘が鳴るようだ 閻魔堂、閻魔大王像と小野篁像

普段非公開の本尊・薬師如来像や地獄絵、井戸、播磨の赤松家ゆかりの刀などが特別公開されたのは、大盤振る舞いの感じがする。いつもは奥の建物に入ることもできないのだろう。美術的芸術的にどうということではなく、1000年昔の庶民のことを思うよすがになった。

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