会津の秋

02年10月28日(月) 快晴−−でした。猪苗代に着くまでは。


午前7時27分新大阪を発って新幹線で一路東京へ。 いつものように睡眠不足を乗り物の中で解消すべく目をつむってみても、 久しぶりの新幹線と快晴の青空。ところどころの紅葉。 1年ぶりに会う人たちのことを考えて興奮して眠れません。 浜名湖を過ぎてしばらくすると、左にくっきり富士山が・・・ 9合目くらいから上は真っ白に雪をかぶり、 登山道らしいジグザグの白い線模様もはっきり見えます。 裾野がスーと伸びて、まっすぐ太陽を浴びて輝く富士。 今回の旅の前途を祝してくれるかのようでうれしい。 乗りかえの東京駅東北新幹線ホームでふたりに会うことになっていましたが、 何年ぶりかの東京ですっかりおのぼりさんモード。 入り口が分からずきょろきょろしていたら、 早くから来て席を取るべく並んだ列を離れて改札口までKさんが探しに来てくださって助かりました。 1年ぶりの神奈川のKさんとAさんのおふたりは少しも変わらずお元気で、 関東以北をよく知らない私が見えるもの何でも聞くのにちゃんと教えてくださって、 あっという間に郡山につきました。



那須から鈍行列車を楽しんでこられたもうひとり、I さんが笑顔で迎えてくださって、 懐かしさは最高潮。磐越西線快速に乗り、お弁当を食べるのに席をゆったり取りすぎて、 混んできてから席を替わるなんておばちゃん行動をやっちゃって、ちょっと恥ずかしい・・・ いい天気いい旅気分を満喫して車窓からの風景を楽しみました。
が……目的地猪苗代では雨。それになんとまあ、傍らに見える磐梯山はスキー場のゲレンデらしいところが真っ白で中腹まで雲に覆われています。前夜の初雪でつもったそうで、例年10月にこんなことはないと地元でもびっくりとか。



明日の天気に期待をつないで、スケジュール通り、猪苗代湖畔の野口英世記念館を見学しました。生家跡を展示開放しています。 04年度から新札になる千円札の図柄に選ばれたし、あいにくの天候でもとても込んでいます。教科書に載るような有名な人だから少しはこの人について知っているつもりでしたが、ほとんど何も知らなかったことが分かりました。才能を認め経済的にも援助した小学校の恩師。手術のための費用を集めた級友たち。本人の努力も並大抵じゃなかったでしょうが、 周りの人にも恵まれたそうです。

身を粉にして働いた母シカさんが息子に帰って欲しくて送った“きてくだされ、きてくだされ、きてくだされ、きてくだされ”の手紙。
左手をやけどした囲炉裏。シカさんがいつも使っていた機織り機。そういう実物を見ると、一挙に120年前の世界にタ イムスリップしてしまいます。アメリカ、中南米、アフリカで実験に明け暮れての発見の業績もすごいことだったのですね。


近くの“世界のガラス館”で、人のまねをして砂時計とぶどう柄薄紫の冷酒グラスを買いました。ネオジュウムという特殊な発色剤で、太陽光や白熱灯では淡い紫色、蛍光灯の下では淡い青色に見えて、いい雰囲気。久しぶりの衝動買いが楽しい。
駅のロッカーに預けた荷物を取りにバスで帰ろうと、氷雨の中をバス停で待つ間の寒いこと。てっぺんは見えませんが磐梯山が1819メートル。
ここ猪苗代湖の標高は514メートル。東北の山すそを歩くのだからと少しは覚悟してきましたが、この寒さは覚悟以上。ふるえながら山すその磐梯高原ホテルに入りました。



そこまでのタクシーの運転手さんがそれほど口も重くなく、東北人という感じのしない人で、 この辺の標高やスキーコース、土地柄のことなど教えてくれ、ちょっとおもしろいことも話してくれます。 驚いたのはAさん。話の途中で突然、運転手さんに名前で呼びかけて話し掛けました。 外人さんみたい。 運転手さん、びっくりしたでしょうねぇ。
ホテルは結構大きいのにこんなにお客が少なくてやっていけるのかと心配になるほど客の入りが悪く、 スキーの季節だけでやっていけるのか、他人事ながら心配になったほどです。

夜になって、雨が雪に変わりました。4人で賑やかにおしゃべりがはずんでいる間、横なぐりの雪が吹きつけ、どんどん積もっていきました。まだ10月よぉ。やっぱり東北は北なんですねぇ。