朝起きたらどこもかしこも銀世界。写真の雪景色は、ホテルのエレベーターから撮った猪苗代の平野部です。 まだ10月だというのに、せっかくの紅葉が枯れて散ったらもったいない。予定では今日は裏磐梯に回って、五色沼自然探勝路を3.6キロ散策するはずでした。雪が結構積もってしまって危ないからと中止に決定。 尾瀬や日光の帰りに五色沼を回るコースを申し込んでもいつも中止になって、何故か相性の悪かった五色沼。今回もとは残念だけど仕方がない。次回のお楽しみに残しておくしかありません。
やむなく計画変更して、午後の予定だった会津若松の市内観光を朝からすることになりました。観光バスで回ろうか、観光タクシーがいいじゃないか、だけど先ず昼食だと明日お昼の予定だった会席料理の予約の電話を御薬園に入れましたが、今日は昼食は休みといわれ、それでは見学だけでもと路線バスに乗りました。 お殿様の別邸茶室や池のあるお庭というのはそれぞれに特色はあるのでしょうが、わたしたち後世の庶民に結構なご身分というのはこういうことだと分からせてくれます。当時は庶民には天然自然と一部の神社仏閣以外に景色を楽しむところなんてなかったでしょう。やっぱり今はいい時代ですね。
御薬園の会席料理とは大分趣が違ってしまって、会津若松は街なかに余り食事をするところがなく、少し歩いてラーメン屋さんに入りました。近くに喜多方ラーメンという全国的に有名になったラーメンの町もあり、ここもよく流行っていました。チャーシューたっぷりねぎたっぷりで安いのがいい。 そのまま歩いて鶴ヶ城へ。他の3人はリュックひとつに荷物をまとめておられるのに私ひとり小リュックと手提げのボストンバッグを持って、気を使わせてしまいました。往復しないところなら全部持って歩かなくちゃいけないわけで、バスツァーで荷物なしの楽チンに慣れてしまったんだなぁ。
鶴ヶ城は紅葉真っ盛りで、40年前に再建されたという天守閣と見事なコントラストを見せています。年のせいか、若い頃それほど好きではなかった日本のお城がとても美しく見えて、石垣、堀、天守閣、門、ひとつひとつも立派で美しく、全体として大変美しい。 城だから当然攻められたときのための機能もいろいろ考えられてありますが、それが全体としてすばらしい建築美だというのは、日本人の美意識と技術を誇っていいと思います。 天守閣の中は博物館になっていて、会津の町や城の歴史、白虎隊に関する資料が展示されています。明治維新を否定的に見る人は今はまずいませんから、会津藩や白虎隊を歴史上の尊敬すべき人たちとして見ることは余りないでしょう。
同時代の人では、坂本竜馬のように先を見る人が好きだと私も思っていました。だけどそんなに単純に比較できるものじゃないかもしれません。あの時代、自分の生まれ育った環境からそれほど違ったことを考えて行動したりはむずかしいでしょう。 特に14、15歳の少年では。それに、白虎隊全体ではなく、戦いの中で一部の若い人たちだけになって、疲労困ぱいから城が焼けているように見えたのも、もうこれまでと思ってしまったのも、理解できる気がしました。 山裾真中辺の白い建物が今夜の宿・東山温泉のホテルです。 部屋からの眺望はよくなかったけれど、展望風呂からは会津の町全体、ここ鶴ヶ城もよく見えました。