会津の秋
10月30日(水)  晴れ−−−ましたが、風強く寒い。
天気がよくて積もった雪が解けていれば五色沼に行けるかもといっていたのですが、この寒さではむしろ凍っているかもしれない。やっぱりまたの機会ということに。昨日行けなかった飯盛山へ行くことになりました。


ここでKさんの面目躍如。ホテルが送ってくれるのは最初近くのバス停まで、それから武家屋敷までということで乗りこみました。運転してくれた人が、“すぐだよ、2分50秒。”と言ったのを受けてすかさず、“ねぇ、おにいさん、3分30秒で飯盛山まで行けない?”
わぁ、よく言うよ、悪いよ、と思いましたが、大分年くったおにいさん、いいよ、だって!!すごいねぇ。よくやるねぇ。でもよかったぁ。バス代と時間が浮いちゃいました。


下ろしてくれたところが食堂とお土産屋を兼ねた店。 そこにいたボランティアガイドの年配女性が案内いたしますと先に立って上手に説明してくれて、 昨日、鶴ヶ城で説明を読んでいたからそれと合わせて現地で見ればよく分かります。
白虎隊自刃のあと篭城した他の人たちは1ヶ月間戦ったそうです。 会津魂と言われるものが全員自刃した白虎隊の思いきりの良さということなら、ちょっとうなずけないなと思っていましたが、 最後まで粘って戦って殿様は生きて開城したというのも明治維新ならではの感じで、古い体制にしがみついたという会津の印象は消えました。
20人のうちそこで息絶えた19人の墓が並んでいます。 ひとり生還して74歳まで生きたという人の墓は自刃場所の近くによそから分骨してずっと後に建てたものだそうです。 その人は逓信省に勤めてガイシを発明し、立派な人生を送られたそうですが、会津ではなかなか認められなかったのでしょう。



イタリアから贈られたという立派なわしの彫像がありました。それが乗っている大理石の柱はイタリアのどことかの神殿の柱だったそうで、ファシズムの好む美談ということだったのでしょう。団体さんを連れてきた若いお兄さんは近くのお土産屋さんの人で白虎隊の衣装で剣舞とやらを舞っていました。
 



少し下りたところに世界でもここだけという珍しい建物が建っています。六角三層の元は観音信仰の霊場だったそうです。 見た目がさざえに似ていることからさざえ堂と呼ばれるようになったとか。 外観も珍しくおもしろいのですが、中がとても緻密に計算されたらせん状スロープになっていて、 上りと下りは別のスロープ。真中に所々あちら側に抜けられるようになっているのが、 いかにも宗教的な意味がありそうで興味深い。

最上階は太鼓橋風になって自然に下りのスロープに渡れるようになっています。200年以上も前に和尚によって考案されて建立されたというけれど、 当時もこんな複雑な建造物の立体図面をちゃんとひいたのかなぁ。今も私たちが歩けるものを造れるなんて、驚嘆するばかりです。ここへは観光案内書を見て是非来てみたいと思っていたので、想像以上にすばらしく、来てよかった。



下りてきたら、荷物を預かってくれていたお土産屋さんでお茶にお漬物を出してもらって、そのままというわけにいきません。おいしかった浅漬けは売り物じゃないので、粕漬けと煮豆と絵ろうそくを買いました。

思いがけない雪景色の中、帰るときが来てしまいました。山は一段と雪が降り積もった感じですが、町では解けています。東北の短い秋を楽しむのはなかなか難しいですね。車窓から三段紅葉を眺め、磐越西線と新幹線を乗り継いで東京へ。







東京駅では、ひとりになって新幹線に乗るまでしばらく時間が空いたので、ついこの間ニュースでとりあげていた新しい丸ビルを見にいきました。が、しゃれた街や店というのはどうも苦手で、その上、人あたりするたちで、杖が突き出た重いかばんを持ってちょっとうろつきましたがすぐに出て、お堀端に行きました。緑と水でほっとしました。

夕暮れが迫り、大東京のビジネス街のど真ん中。みんなと別れてちょっぴり寂しく、当分旅行の予定もなく、冬期鬱が待っている。そうだ、とにかく帰ったら写真の整理だとようやく気持ちが前を向いて、なんとか明るく新幹線の人となりました。 スイスハイキング関東3人グループさん、変な呼び方でごめんなさい。本当に楽しい旅でした。ありがとうございました。I さん、旅の旅程組み、宿の手配、その他もろもろ大変お世話になりました。またの機会を楽しみにしています。