国境の島、壱岐対馬
太宰府天満宮

3日目 6月17日(土) 曇り ときどき 雨

全国の天神さんの総元締め。書道の神様、学問の神様として全国で熱烈信仰されている菅公、菅原道真公の墓所。ときの天皇に重用され、官位上り詰めた才気をねたまれ北九州に左遷され、失意のうちに亡くなったとされる。その後、都に疫病はびこり、関係者が次々事故やら病気やらで亡くなる。道真が怨霊となって祟っていると信じられ、神様としてあがめ奉られることになったというのが天神様のいわれらしい。怒りを鎮めるために拝むという神様もあるのですねぇ。 境内はとても広く、後で見学に行った国立博物館も境内の山にありました。
台風で壊れた大鳥居を継ぎ足し継ぎ足し
すぐに新品にしなかった姿勢は好感が持てます
今新しく作ると石が手に入りにくく
コンクリートになってしまうからかもしれませんが
花菖蒲の池
大鳥居前の御神牛、いいお顔です 本堂横の林の中に小さい牛像

境内には大きなクスノキが多く、ウメの天神さんというよりクスノキの天神さんの感じ。
夫婦クスノキ 天然記念物のクスノキ
昼食は、境内の食堂兼みやげものやで。奥の方には、美人で有名な元芸者さんが始めたというお茶屋さんもあるとか。

境内の山すそにある日本で四つ目の国立博物館の見学をしました。常設展示館は4階。時間が2時間あるというので、2、3階で展示中の琉球展も別途申し込みましたが、4階だけでも2時間では足りないくらいでした。
広い中央部分に大型展示品。小部屋をまわりに14部屋だったか配して、近代から逆に時代を遡って、国宝の陶磁器や美術品。遺跡からの出土品。映像を使って日本の成り立ちを分かりやすく見せるなど、新しい博物館らしいつくりになっています。


吉野ヶ里歴史公園
駐車場から遠くに見える遺跡らしい建物 遺跡あとに作られた歴史公園の入り口建物
拡大画はこちら 物見櫓
入り口から見た南内郭の風景 南内郭から北内郭を遠く眺める
竪穴式住居内部の再現 竪穴式住居と大きい物見櫓
右上写真の大きい物見櫓には上れるので上って見まわした景色がこの2枚
古代人風衣服を身につけて再現品を作る人々 拡大画はこちら
拡大画はこちら
中央部写真は発掘時のもの 環濠と木杭の塀
北内郭、王宮 供物倉
北の青森、三内丸山遺跡と並び称される大型遺跡、西の佐賀、吉野ヶ里。三内丸山遺跡は5000年前の縄文遺跡で、こちらは2000年前の弥生遺跡と言われています。
大型遺跡をこの目で見られるとわくわくして現地にやってきましたが・・・立派な再現建造物が林立する歴史公園に変貌していて、柱の穴一つ残っていませんでした。高床式住居や倉庫、織物の倉や道具の倉など、まだまだ沢山の立派な再現建造物がありました。
奥の方に現在発掘中のところもあるようでしたが、見学できません。
再現してある建造物も、環濠や木杭の大掛かりな塀も、すべて台湾ヒノキだそうで、153億円かかっているとか。建造物の中に展示されている再現小物たちも、きっと、歴史学者さんたちが緻密に考証した確かなものなのでしょう。だけど、全部こんな風に再現して欲しくなかった。再現は一部でいいのでは? と感じました。
展示館もありましたが、発掘についての説明は簡単なもので、発掘したものたちはどこに行ったのかと不信感を持ちましたが、朝見学した博物館に展示されていたものを思い出しました。
最も興味を惹かれたのは、甕棺でした。大きな甕に遺体をいれ蓋のように甕をかぶせて合わせ目をふさぎ、ピーナッツの殻のような格好の棺です。現地で見たかったと思いましたが、博物館できちんと空調管理されて保管展示する方がいいでしょうね。
また、沢山の再現建造物は、遺跡の上に別の土を30センチかぶせて、そこに再現建造したそうで、その方が遺跡がちゃんと保存されるという考えによるものだそうです。
できればこういう場では、朝の博物館とも関連付けて説明できるガイドさんをつけて欲しかったなぁ。

<画像を含む詳しい佐賀県教育委員会のサイトがありましたが、佐賀県のホームページの手直しがあったようで、 説明、映像とも以前ほどわかりやすくありません。むしろ“吉野ヶ里遺跡”で検索したほうが自分の興味を引くサイトが見つかりそうです。>


写真は福岡空港内レストランから。
梅雨の真っ最中にほとんど降られず3日間を過ごせたことは本当にラッキーでした。
往き同様よく揺れて眠って帰りました。たった3日の旅でも少し疲れました。でも、旅はいいですねぇ。酔い止めを飲んでの乗りものも、きれいな景色や、珍しい体験や工場、博物館の見学も楽しい。
この先の人生に、社会に、何かの役に立つわけではないけれど、元気に生きることが少なくともあまり迷惑をかけないことにつながるだろうと言い訳して、状況が許せば、これからも旅を楽しみたいものです。

<2006年6月17日>