国境の島、壱岐対馬
対馬から壱岐へ

2日目 6月16日(金) 晴れ ときどき 曇り
さようなら、対馬、厳原(いずはら)港をあとに、壱岐に向かう


福岡県だと思い込んでいたけれど、対馬も壱岐も実は長崎県。対馬は山の多い耕地の少ない島に見えましたが、壱岐は意外に広い平野があって、車窓から見えたこの田んぼの広がる平野は長崎県で2番目に広い米どころなのだとか。
今年はいつまでも寒くて、二毛作の冬の大麦の収穫が遅れ、田植えも遅れたから、まだこんなに稲が小さいとガイドさんの説明。

その大麦を使っての焼酎作りは、ここ壱岐が発祥の地だそうで、6軒で協同組合を作っているという焼酎工場を見学させてもらいました。
スペインのシェリー酒の古樽も使う
茶色い甕は韓国製、木樽は内側を焼いてもらって新しく作ってもらったもの
材はカナダのホワイト・オーク、何回目かに色がつかなくなったら
樽をばらして内側を焼き直してもらうとか
焼酎のあのほのかな色はそうやってつけているのか
色と香りが移っていいのだとか
新しいときは1ヶ月、次は3ヶ月、
3回目は半年樽にねかせておく

スコッチウィスキーもシェリー酒の古樽を使うそうだ



猿岩と黒崎砲台跡

見学順としてはこちらの方が先でしたが、大麦のついでに先に焼酎の方へ話がいってしまいました。

猿岩
山に横穴を掘った入り口
砲台のあった近くまで入ったが暗いし
地震で崩れたとかで奥までは進入禁止
入り口は迷彩色模様、近くの海軍関係施設や
住居にもこの模様がついていた
砲台内部の案内図
拡大図はこちら

山の上に隠れるように大穴が開いている砲台跡
結局1度も発射されることがなかったという砲台
構造は右上の説明板拡大図をどうぞ
猿岩の見えるところから砲台跡の上まで歩く

砲台に関係する軍人は600人もいたらしい



左 京 鼻



アザミ
ミヤコグサ ?



はらほげ地蔵
腹というより胸がほげている

壱岐の観光案内地図
拡大図はこちら
はらほげ地蔵の由来
拡大図はこちら
(欠けたところは想像してください、すみません)

原の辻(はるのつじ)遺跡の出土品などを展示した展示館の見学をしました。「魏志倭人伝」に記載された「一支国」の中心地で大規模環濠集落だったそうです。古代史のロマンも、写真なしで、たった1行の報告になりました。

今朝、対馬からフェリーに乗って壱岐に来て、壱岐では泊まらずに福岡へまたフェリーに乗って向かいます。それぞれ2時間ちょっとで、それほど混んでもいないし、ゆっくり寝ていけたのですが、船の旅は疲れます。
二度にわたった元寇の弘安の役で、弱冠19歳で壮烈な最期をとげた壱岐の守護・少弐資時の像
芦辺(あしべ)港で見たこの像が元寇に関係ある今回の旅唯一のものか
初めて見た錨を揚げる作業 芦辺港を出たあと、壱岐とお別れ



福岡の宿は、天神の東急イン。ビジネスホテルだろうけど、場所がよく、13階ダイニング・バーでの夕食は楽しめました。窓辺に向かったカウンター席に案内され、博多一の繁華街中洲の紅い灯青い灯が川に映って、美人バーテンダー?の選んでくれた赤ワインが特別おいしく感じられて、おかわりしてしまいました。 ツアー募集当初、有名な屋台で各自夕食をどうぞ、ということだったけれど、ここでの夕食コースをオプションでつけてくれてよかった。ひとりで夜景というのも寂しげかもしれないけれど、ばあさんがひとりで屋台は、もっとさまにならない。
ワインに酔った目で見た景色ということで・・・

前菜 パンとスープ
パンはひとつ食べた後
メインの牛フィレステーキ
とサラダ
デザート
アイスクリームと果物は
消えた
食事の後、その有名な屋台街なるものを見てみようと外を歩いてみました。60年代のジャズかな、テナー(?)サックスをちょっと下手に吹いている中年おじさんあり、ギターの若者あり、なんでこんなところを夜?不思議な犬のお散歩おばさんあり。
やっぱり日本は治安がいい。夜、旅行者おばちゃんがひとり安心してぷ〜らぷら歩けます。
ラーメンが多い屋台 金魚つりならぬうなぎつり
1回1000円は高いよ、いや2回だったかな
“若い兄ちゃん、勇気出して!”
おばちゃんの掛け声につられてやったけど・・・

<2006年6月16日>