少し昔の韓国旅行
複雑な思いがついてまわったソウル市内観光 4日目 1990年9月25日

国立中央博物館(旧朝鮮総督府庁舎)国立中央博物館(旧朝鮮総督府庁舎)は、今では取り壊されています。韓国国民にとっては屈辱以外の何ものでもない日本による植民地支配の象徴。1995年まで博物館として残されたのは、取り壊しに莫大な費用がかかるということが大きな理由だったそうですが、取り壊してさっぱりするだけが、正しいやり方ではない。決して忘れることがないように、目に付く場所に残しておくやりかたもあるのだと、国民を説得した首相がいたそうで、どちらにしてもつらい苦しい選択だろうと日本人としてはいたたまれない思いがします。

この建物を建てるに当たって、わざわざ李王朝の王宮の真前に立ちはだかるようにどーんと大きく造ったというのだからたまりません。王宮も大分破壊したそうです。建築物としては、外観も見た通り大変立派だし、内部の床や壁の装飾、階段などのつくり、部屋の並び方など、大変贅沢に作られていて、支配者としてどんなに権威を示したかったか分かります。
昌徳宮の門広い建物の中に、ほとんど見学者はいませんでした。日本からの観光客と建築や美術の関係者しか入らないのかもしれないと感じました。建築、美術の観点から残そうといった韓国の人もいたといいます。でも、人々の記憶にまだまだ強く残っている被支配の意識。国民感情は理解できますね。

右と下2枚の写真は、隠された方の王宮ではなく、昌徳宮という破壊を免れた広い離宮です。

昌徳宮、奥の宮殿 宮殿内部
広い庭の奥にある宮殿のひとつ 宮殿内部
ロッテワールドや市場、どこだったか大きなお店にも入ってお買い物。革ジャン、毛皮のショール、スパンコールのバッグ、アメジストのネックレスなど、私には縁のない品物も、人について見て歩くのは楽しい。そういう店では日本語が通じて店の人もにこやか。だけど、市場のおばちゃんに、はき捨てるように日本人めと言われてにらまれました。もうその言葉は忘れましたがそのときは調べて分かりました。市場での恨みではないでしょう。やはり日本人にひどい目に合わされた思いが根強くあるのだと感じました。
ガイドさんは、しきりにブランドバッグのニセモノを勧めて、そういう店にも行きましたが、買う人はいなかったと思います。買い物目的の人たちは免税店で本物を買いたいようでした。私は高麗人参少しと帰りの船の免税店で自分用お土産にブランデーを・・・



特急セマウル号で釜山へ 5日目 1990年9月26日

ソウル駅ちょっと東京駅に似た感じのソウル駅から韓国ご自慢の特急列車に乗車です。でも、オリンピックめざして突貫工事だったらしいあともありました。列車から見える表は駅もきれいになっていますが、少し走ると、スラムという感じの1画が現れたり。間には合わなかったけれど、きっともうあのスラムはないでしょう。東京オリンピック前も似たような感じでしたね。オリンピックは国威高揚と都市整備に絶大な効果があるのでしょう。


列車から、山と川山や川の横を走ります。緑濃い山々を見て、中学の社会科の先生を思い出しました。「朝鮮半島は裸山が多い。日本の山が緑濃い木々に覆われているのはすばらしいことなんだ。」 先生は、朝鮮半島に出兵していたようでした。だけど、大分後で知ったことですが、山を裸にしたのは、秀吉以来、日本人だったと言われているそうです。きっと先生も他の日本人も日本人の優越性を信じて、 自分たちが攻め入っていることを正当化していたのでしょう。

釜山では、船が出港するまで、国際市場でまたまた買い物。ソウルでもそうでしたが、市場はとても活気があって、商品の売り方も面白い。傘ばかり売っている店。女性の下着といっても一番の下着いわゆるパン○○・ショー○だけの店。
高台にある公園でも時間をつぶしました。木陰で老若男女が楽しそうに民族舞踊を踊っていて、不思議な感じがしました。沖縄でもよく踊りますね。とてもうらやましい。
どうして、私たち日本人は日常的に歌いながら踊るということをしないのでしょう。歌ったり踊ったりというのは、とても人間の本性に合っていると思うんだけど。カラオケで個室にこもって歌うのじゃなく、お祭りで揃って踊るのじゃなく、普通の時に公園などで自然発生的に踊り始めるのっていいですねぇ。

              ―――船で寝ている間に翌27日。朝、神戸港に着きました。―――


韓国民族村へ