少し昔の韓国旅行
よく似て少し違う日本と韓国、昔の暮らし 3日目 1990年9月24日

韓国民族村

遠足らしい子どもたちや、民族衣装でおめかししたらしいこの国の人たちが大勢訪れる有名観光地のようでした。
昔の民家 土間にカマド
農家と思われる、床はオンドルでとても暖かいそう 土間に低いカマド
にんにくいっぱい 薬草袋
いっぱいぶら下がっているにんにく 漢字で書いてある薬草の袋

庭先のカメ 放し飼いの鶏
庭先のカメ、多い 放し飼いの鶏、近くにある小屋は高床式で立派

時代劇撮影中 昔風に一族の祭礼
後列は、時代劇ロケ現場で出演者休憩中
許しを得て記念に1枚
広場で輪になって一族郎党何かの祭礼
民族衣装、白い帽子のご老人が
お顔も姿も長老らしく厳しいご様子
この旅行の間、ずっと申(しん)さんという60歳の女性ガイドがついて熱心にガイドしてくれました。そのころの韓国の国情を少し、男尊女卑の暮らしぶりも少し、そしてかつての日本の植民地支配についても・・・彼女が夫亡き後、達者な日本語でガイドの職について家族を養っていけたのは、学校で日本語しか使わせられなかったからだと聞いて、創氏改名は知っていましたが、呆然。いずれもひどいことです。
すべてに日本より40年遅れていると言っていました。最近日本で議論のある「夫婦別姓」についても、「韓国はずっと別姓。進んでいると思うでしょ?しかし違います。」と。韓国の人にとって家系は個人よりとても大切。大変重要なことで、嫁として入ってくる女性に大切な姓を受け継がせないのだと言います。儒教がいまだに生きている、父系直系の国なのだそうです。
あれから15年。目覚しい経済発展を遂げて、民主化も進んだであろう韓国。でも生活に根ざした意識というのは、法律が変わろうが、多少年月が経過しようが、どこでもなかなか変わらないですよね。日本だって若い人もいまだに家の意識を引きずって、両性の合意のみに基づいての結婚、できてるでしょうか。韓国のその後、気になります。

立派な民家 立派な民家
立派な民家

キムチ倉 ブランコではしゃぐおばさん
キムチ漬けは家々で秘伝の作り方があるそうで
専用の熟成倉があったよう
チマチョゴリではしゃぐおばさん
この頃、韓国ではお出かけはチマチョゴリのよう

  

広い広い市内道路
その日のうちにバスでソウルに向かいました。 着いたのは夕方。高速道路も幅広くてまっすぐで驚きでしたが、ソウル市内の道路も歩行者が渡るのは大変そうな広さ。しかも車の数がすごい。ゴォオオオオとすごい音。
大河漢江 オリンピック競技場
韓国の人にとって大河漢江は特別自慢すべきもののようです オリンピック競技場も

ソウル観光は翌日。今夜と明日の宿は山の手のホテル。加藤清正がトラ退治をしたという山が見えました。夜のソウルの街にどっと繰り出した人たちも多いようでしたが、私たちは勝手が分からず、おとなしくホテルで休みました。


神戸港〜釜山〜慶州へ ソウル市内観光へ