梅林・古い町並み・南紀
2011年2月25日(金)  うす曇   <南部梅林の続き>

懐かしの?ローカル鉄道

小学1年生の途中から高校2年生の途中まで、ここ御坊界隈で暮らしていました。父の転勤に伴って引っ越してきて、10年間で5回引っ越し、また他県へ引っ越してしまってから滅多に来ることはありません。
昔、臨港と呼んでいた鉄道には、16歳の夏以来乗っていなかったので、楽しみでした。
名前が紀州鉄道と変わり、車両もバスを改造したそうで、レールバスというそうです。当時、線路際に小高い土盛りができていたところはちゃんと駅ができていて、‘学問’という駅名に笑ってしまいました。確かに学校2つのすぐそばですが。もう1つ市役所前という駅もできていました。
当初、御坊駅が町から遠くて不便だというので、駅と町中と日高川の河口とを結んでいたそうですが、私が住んでいた頃はすでに河口には行かなくなっていて、御坊ー紀伊御坊ー西御坊を往復するだけでした。
今も畑や町外れを走るのどかな電車で、路面電車のような感じです。ジジージジーと小刻みな振動が何ともローカルな感じでした。
50年以上経てば当然、まわりの景色は一変。車窓から見えた学校の建物も違って、懐かしいというのとは違いました。

駅の屋根越しに少し見えるのは亀山と言って
秀吉に滅ばされるまでここに湯川氏の城があったとか
全国の湯川姓発祥の地だそうです
杖を持って、手すりにつかまって立っているものだから、何人もの方からどうぞと席を譲られて困りました。
みなさん、同じツアー仲間です。貸切状態でした。座ってしまうと外がよく見えないのです。
昔住んでいたのでこっちもあっちも見たいのだとその度に言い訳して杖をしまいましたが、もう遅い。はた迷惑なことでした。


終点西御坊駅、毎週ここから御坊まで乗っていました。駅は創業当初から変わらないそうで、
その古び方傷み方、ベニヤ板つぎはぎの壁と天井に複雑な思いでした。

御坊寺内町散策

御坊駅からは2組に分かれて、2人の現地ガイドさんが案内してくれました。終点西御坊駅の裏口のようなところから出て、大正ロマンあふれるという町に繰り出します。 回船業や林業で財をなしたという大商家は、どこも500坪以上の敷地にほぼいっぱいに家と蔵が建って、かつての豪勢ぶりを偲ばせています。
御坊駅が何故町から遠く離れているかという話で、ガイドさんは当時の偉いさんがその辺りに住んでいて・・・と笑わせて、フンフンと納得している人もいましたが、子どもの頃学校で聞いた話とは逆です。町に鉄道を通したくない先人の無策愚策がその後の町の発展を阻害して、後々の子孫に禍根を残す悪しき例だと何度か聞きました。 今回、それがよく分かりました。ある時期、町の発展を担ったのが海運業だとしたら、鉄道の敷設には反対の立場にならざるを得ないのでしょう。今地図を見ても、わざわざ線路をぐっと曲げて町を通らなくしているのが分かります。

江戸時代の木造平屋造り、堀河屋野村醤油味噌店、今も製造販売していて、本瓦大屋根、ベンガラ格子に伝統と歴史を感じます
向こうの蔵からずっと堀河家林業(株)、本瓦大屋根が立派
ただし、こちらは修理して新しいらしい
二階のある川瀬林業、表戸が障子というのはいまや珍しい あちこち小路を覗くと奥行きの長さが分かります
水少なくうら寂れたどぶ川に見えますが、かつて回船の荷物を上げ下ろしした川だそうです
岸野酒造本家、製造販売中、試飲させてもらった紀州美人、おいしかった


小竹八幡神社
鳥居 石碑の後ろの石垣はここが旧藩主の別邸
だった跡に建てられたからとか
砂岩でできているこの狛犬一対は珍しく、狛犬愛好家がわざわざ足を運んで見に来るそうです
二の鳥居の向こうに拝殿
日本で2番目に神社の少ない県が和歌山県だそうで、1番は沖縄とか
南方熊楠が八幡神社を残そうと運動したのも和歌山だったからかもとガイドさん

拝殿屋根の両隅に鷹?珍しいのでは?
拝殿左奥に並ぶいろいろの神の小社 右端の立派な門の中にも・・・
屋根も壁も隙間だらけで崩壊寸前に見えます
小竹と書いてしのと読むそうです。ここはよく覚えています。小学生の頃、毎年正月にこの神社に来ました。特別に着物を着せられて、もらったお年玉を握り締めて、参道に並んだ露店を見てまわりました。小さい模型神社の参道(細い木)を通って入り口を開けておみくじを引いて戻るヤマガラの芸が大好きでした。こんなに小さくてなんて賢いのかとびっくりでした。蛇使いもいました。いつも一人で行っていたのは、多分、弟妹が幼く、父の知人の年賀訪問などで母が忙しかったのでしょう。 思っていた通りの神社で、ここは懐かしかったです。


西本願寺日高別院


樹齢400年の大イチョウ、銀杏をつけない♂の樹らしい
後ろは入ってきた門
本堂 鼓楼、見張りの意味があったそう
あちこちに○○御坊なるところはあるけれど、御坊だけで町の名になっているのはここだけ。それだけ近隣の人々から崇敬されたのだと言います。
ここに併設されている幼稚園は古く、弟が隣村から歩いて通いました。女優の富司純子が通ったことがあるそうで、何かのイベントのたびに御坊出身ということで駆けつけてくれるとか。ガイドさん、市の観光課の人かな。

御坊寺内町散策というツアー企画は今年初めてらしく、紀州鉄道でも、ここ別院でも特別扱いを感じました。今までは、近くを通っても素通りか、花、トマト、スイカとか、道成寺、湯浅の醤油工場には寄っても、町中に入るツアーはなかったようですから、市が立派なパンフレットを作って力を入れているのが伝わってきました。
和歌山電鉄貴志川線の無人駅「貴志(きし)駅」は駅長猫・三毛猫のたまで大人気で、うらやましいことでしょうが、そんな奇特な猫は滅多にいないし、地道に努力していただきたいですね。
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