紅葉の東北、八幡平から八甲田山へ
1日目 02年10月 9日(水)

八幡平までひたすらバスは北進する

2002年秋、満席のJAS機は多分ほとんどが紅葉見物ツアー客。1時間40分後仙台に到着して、バスはひたすら北進します。大分寝た後目覚めて、遠くに見える山並みと近くの田畑が延々と続く同じような景色でも、それが東北の景色なら、はるか遠くへ来たもんだという感じがして、この後行く山の中の景色が楽しみでわくわくします。

一関の元酒蔵で昼食。昔、酒造り、今は地ビールをつくって、酒蔵を改装したレストラン、和風レストラン、酒造資料館、みやげ物売り場などで、観光客を呼んでいるようです。地元の人も入れ替わり立ち代り入ってきて、繁盛しています。大きな器にすいとんらしき汁物が出ました。土地でははっとん汁というそうです。昼間は一応アルコールを飲まないことにしているからお茶だけ。隣のおじさんの地ビールがおいしそう。

左のたわわにみのった実は何か分かりますか。
前述の酒蔵レストランの入り口近くに植わっていた柿の木で、豆柿というそうです。実はとても小さくて、直径2センチくらい。
昔酒蔵では殺菌と防腐のために、桶などに柿の渋を塗ったそうで、その渋を取るために敷地内に植えたそうです。何故、他の柿じゃなくてこの豆柿なのかは傍の説明板には書いていませんでした。
私の住む西宮は酒造りの本場、灘五郷のひとつ。そこでも柿の渋を使っていたのかな。豆柿かほかの柿を・・・

車窓からの景色が関西とは大分趣が違っておもしろい。田んぼはちょうど稲の収穫が終わった後らしく、稲藁がきれいに等間隔にまっすぐに立てて並べてあります。こんな形のは見たことがありません。山はうねうねと低く続き、ときどき右に左に山塊が見えてバスガイドさんが名前を教えてくれるけれど、どれも似ているように見えて覚えられません。東北の背骨というべき山脈が北から南へまっすぐ連なっているかと思っていましたが、そういうのではないようです。



岩手山山麓、安比高原のブナ林

この日の宿は岩手山山麓松尾村の松川温泉。宿に入る前に近くの 安比(あっぴ)高原横のブナ林を散策しました。
案内してくれたのはまじめで一生懸命だけど軽く振舞おうとするおじさんガイドさん。関西人相手だからか、口の重い東北人という印象を払拭 したいようだけれど・・・やっぱりまじめで重い。
おじさんいわく、今はブナは天然のダムと言われ、その保水力が高く評価されて、白神山地は世界遺産にもなった。こうして観光客もおすなおすな?!だけど昔はどこにでもあった木で、あなた方の住む関西のような暖かいところのほうが木は好きなはずだ。ところが暖かいところではお金になるスギやヒノキのような針葉樹が植樹され、こんな不便なところにだけ残った、と言います。

ブナという字はどう書くか。そう、木へんに無いと書く。何の役にも立たない、何も無いの意味だ。農民はこの木を嫌った。水分が多く柱にも薪にさえも向かない。どうしようもない寒い東北の田舎にだけ残ったと。
この林はブナの二次林で、50年くらい前から育った若い林だそうです。何の役にも立たないのに何故、全部切られて、今、二次林なのかと聞くと、戦争前後貧しい農家は山の木を切るしかなかったからと。 六甲山でも戦前は薪にするのに木の根まで掘ったといいます。ここの冬の酷寒と積雪を思うと、今も出稼ぎという形で残る東北の厳しい事情に胸詰まるものがあります。

普通ブナを探すとき、あの独特の木肌を目印にします。 幹全体をカビのような苔のようなものが様々な模様に染めています。そうでなければブナとはみとめられません。
ところが違うのだそうです。水分が多いから幹全体をカビの仲間が覆うけれど、それは大分大きく育った木で、若い木はおじさんが触っているような、色白でしみもシワも無いのだそうです。人間の女性にたとえたおじさん、暴言失言だよ。まじめなおじさんじゃ、ま、仕方ないか。

ブナの大木はよく森の主みたいに写真集などに載っていますが、それほど長生きではないそうです。マツやスギは樹齢何百年、屋久島のスギのように何千年というのもありますが、ブナは150年から200年で自ら枯れて倒れ、厳しい寒さに凍裂 もするそうです。
ブナの実をはじ めて見ました。外の硬 い皮をとるとソバに似た三角形の白い実が入っていて、昔はソバ栗といって食べたそうですが、小さい実だからお腹がふくれることはなかったでしょう。信州で笹の実を野麦といって食べたというのと同じですね。厳しい自然と貧しさを示す話です。




ブナ林に入る前に見かけたマユミは周りの枯れ木やシラカバのあいだからとても鮮やかな赤を見せてくれました。



紅葉の東北、1日目へ