丹波から京都へ・明智越え
2005年12月9日(金) 晴れ
明智光秀が本能寺へ向かった山道が明智越えと呼ばれ、歩きやすいハイキング道になっています。明智氏の領地だった亀岡から愛宕山を経由して京の町まで伸びる道だそうですが、今回ガイドつきのバスツアーでは、水尾川まで山道。その後、舗装林道を山陰線保津峡駅まで歩きました。
右の案内図をクリックすると別窓で拡大図が出ます。

バスで大阪池田から北上。亀岡市の保津川下り乗船場近くでバスを降りた37人、登リ口まで住宅地を歩き、きつくはないけれど、雑木林とヒノキ林のなかをひたすら登りです。

黄色や茶色の落ち葉を踏み、融け残った雪が凍って、まるで冷蔵庫のなかにでもいるような冷気に包まれ、汗びっしょりだけど気持ちのいい歩き。





あまり展望のきかない道だけど、登りで1ヶ所亀岡の里が見えました。


“峯の堂”というところにつきました。立派な看板を読んでみると、さすが明智光秀のお膝元。ここに建っていた清和天皇を祀ったお堂に、本能寺攻めの必勝祈願をして、加護により成功したけれど、山崎の合戦で秀吉に敗れて、無念であったろうと、峯の堂と書いて“むねんどう”と呼ぶようになったとか。

ここで休憩している間、遅れている最後尾の数人を待ったけれど、15分待っても姿が見えず、最後尾の添乗さんと連絡を取り合っていたガイドさんが、男性陣がブツブツ言いはじめたし、出発。それほどきつい登りではないといっても、男性ガイドが男性の多いグループを率いて、いつもの初級ハイキングコースより速い歩きで、30分ただ登るばかりだったから、少し遅れる人がいてもふしぎはありません。
ここまでは何とかついてきた私も、筋肉に弾力性なく、腰痛から膝痛、股関節痛、あとの下りに弱い。

この後は平らな道もあり、標高が高いのと北側にまわったからもあるのだろう。林間だけじゃなく、歩くところにも雪が当たり前に残っていて、楽しい冬の稜線歩き。


標識、左ー亀岡、右ー保津峡 土用の暑いさなかにも泉が涸れないといわれた
霊泉らしいが、今ではすっかり涸れている
どんどん下って見晴らしのいい展望台に出ました。下に見える川は保津川。橋はトロッコ列車用。歩きながらの写真撮影もここまで。これからの下りはきつく、片手に杖。片手はあけておきたいのでカメラはリュックにしまいます。

融けた雪でビチョビチョ。石や枯葉枯れ枝で滑ってこわい。前との距離が開くのを、平らなところで追いついて一息つく間もなく、また下り。下り始めた頃から痛くなっていた股関節の痛みが強くなり、膝も痛い。そのうちに、右太ももが軽くつってしまいました。これは初めて。この距離このアップダウン、マイペースというわけにいかないツアーハイキングは、同じ道を往復するのでないと大分無理がかかるとわかりました。この冬、歩いたことがないところばかりバスツアーに申し込んであるから、様子が分かりません。体調次第ということにして、どうしても無理だと思ったらキャンセルしよう。
舗装林道を歩くのはつまらない 晩秋の風景はいい眺めなんだけど・・・
JR山陰線保津峡駅ホーム ホームから真下をのぞく、保津川
駅前で休憩をかねてお弁当。列車に乗って2駅、出発地の亀岡に戻り、バスに乗って京都市内に入りました。


洛西、花園にある臨済宗妙心寺を何故か拝観。広い広い境内のほんの一部だけ。何年前だったか、京都でよくある冬季限定の特別拝観のひとつとして、数ある子院塔頭のうちいくつかが秘蔵の襖絵や庭園を一般公開しているというので、ひとりで出かけたことがあります。
奈良や京都には、信じられないくらい広い寺院や神社がありますが、この妙心寺も寺内に町があるような感じのところ。冬季限定ばかりでなく、いつも公開しているところを拝観鑑賞したり、狭い路地のようなところを巡ったり、丸1日かかってしまいました。 ほんの一部、それもいつも公開しているようなところだけ20分間見せてもらうのにどんな意味があるかと思ってしまいます。 写真は日向ぼっこで縁に座り込むツアー仲間。

鳴滝了徳寺の大根焚き(京風に言えば、だいこだき)も短時間でしたが、歴史が古く、中風封じに霊験あらたかというあつあつの、思ったよりも沢山いただいた大根はあったまって生き返った心地がしました。
少し離れた仁和寺の駐車場にバスを止めて、狭い路地を歩いても全然苦になりません。現金なものです。


了徳寺近くで、現代風の民家にはさまれたわらぶき屋根の家を見ました。自然に町中で目にするのが京都ですね。今も住んでおられるようでした。
京都は町の角々に歴史が詰まっていて、それが今も生きていて奥が深い。


仁和寺境内をのぞいたら北山を背景に夕日を浴びて美しい