出石城址、竹田城跡めぐり
2011年4月12日(火) 快晴   出石城址からつづく
大阪梅田を出発してすぐにのった中国縦貫道、宝塚のトンネル入り口で8台の車による多重衝突事故があったそうで大渋滞。1時間くらい余分にかかった分を取り戻そうと、ここ夜久野のしだれ桜がほとんど咲いていないということで、大幅時間短縮。並木道の入り口をのぞいただけでした。あと1週間もすれば満開でどんなにかきれいだろうと残念でした。

夜久野しだれ桜
ボーとかすんで見えるしだれ桜の並木、山の木々の芽吹きが美しい


竹 田 城 跡

三の丸付近から南千畳と下界を望む
二の丸あたりから南千畳を望む
登り口の説明版、写真をクリックすると別窓で大きくなります

中世の古城をじっくりガイドさんの説明付きで見てまわるのは初めてで、崩れず崩されずみごとに残った穴太流石積みによる野面積み石垣。360度さえぎるもののない山上からの眺望はすばらしいものでした。戦国時代といったら織田・豊臣・徳川か、謙信・信玄か、せいぜい毛利かくらいしか名前も分からない私でも、ジョークを交えて分かりやすく説明してくれるガイドさんの話に、その時代ここに生きていた人たちの息吹きが感じられるようでした。

詳しくは上の説明版とか、分かりやすいサイト「埋もれた古城」をご覧ください。
こちらからどうぞ。
分乗して登ってきた車から降りて城跡に取り付くところ 大手虎口(今、人のいる場所)
鎧兜に身を固めた兵50名くらいがここに一杯になったら
一隊となって下りていったという
北千畳

大手虎口から上がってすぐの広い場所
大津坂本の穴太衆は今も 全国の石垣修繕を一手に
引き受けているそうです
大きさもばらばらで、ぐすぐすに見えますが400年ゆるみもしない
上にいくほどほんの1センチくらい外にかぶせるように積むので
雨が入りにくく強固なのだそうです
三の丸あたり    西に面した崖   下に井戸がある
花屋敷
全体に南北に長い城郭の真ん中あたり少し西に出っ張っている
南北の低い石壁に鉄砲をのぞかせる穴だというが
実際には、上がってくる敵を蹴落としたのだろうという
天主台
はしごが掛けられて登ってみる人もいた
石段がないのは本丸の建物から階段でつながっていた
からだろうという


最後の下りの石段はとても急で、壁に触りながらでも
ほとんどの人はここを下りましたが、数人は、少し戻って緩やかな
石段を下りてぐるりとまわりました、もちろん私もゆるい方です
壁面の真ん中に特大の石がはめ込まれています
今やパワーを出す石として大人気だそうですが
敵を一瞬ひるませるのに効果があるのだとガイドさんの弁
南千畳から本丸天主を望む

日本の名城100選に選ばれているのだとか。他をまったく知りませんが、中世の古城、山城ということで選べば第一級の史跡ではないでしょうか。秋から冬にかけて気温の低い晴天の早朝、霧に包まれた城跡は、昔からの呼称虎臥城(とらふすじょう)の名を彷彿とさせ、天空の城と呼ばれるにふさわしい光景なのだそうです。写真では見ますが、自分の目でも見てみたいものです。

石垣のすぐ下までマイクロバスとタクシーで運ばれたのだから、大してアップダウンがあったわけじゃないのに、車の待つ道路まで下りるのが大変でした。乾いた砂が滑るし、小石を踏んでころびそうになるし、これでは到底憧れの尾瀬は無理だと思い知らされました。

出石城址花見