真珠腫性中耳炎・手術入院日記
2回目

《入院7日目》

6月3日(月) 晴れ
朝方5:00頃に雨が降っていて驚いた。昨日あんなにいい天気だったのに。昨日ツバメかと思ったのはムクドリだった。今日は部屋のすぐ前の桜の枯れ枝に4〜5羽とまって、親らしい明らかに色が濃く身体も少し大きいのが、どこかへ飛んで行っては帰ってきて口移し。 鳴き声も大きく、ギィーギィー。枝で動かないのはキキーキキー、チュルチュルチュル……キチキチキチキチ……声までかわいい。やわらかそうな新芽をついばんでいるのもいる。やっぱり巣立ったばかりの子どもだと思う。
入院時に双眼鏡をと考えないでもなかったが、 病院で双眼鏡は胡散臭く見えるだろうと止め、デジカメに30倍ズームがあるんだ!で撮っていたら、一昨日入った窓際のKさん、写真趣味ですかと尋ね、自分もカメラ欲しいけどどんなのがいいか分からないとおっしゃる。自分の撮りたいものを中心に考えて選ばれるのがいいんじゃないですか、まではよかったんだけど……いつも使っている使い捨てカメラでは何故かボケるのとおっしゃるのを、手ブレでしょうと一刀両断してしまった。自分がそう言われてそのとおりだったからといって、家族でも友達でもない、まぁいわばご挨拶みたいに話したことでそこまで言われたくはないだろう。 使い捨ては軽いし、暗いところでは弱いしと、一般論として話すべきだった。
今となっては仕方ない。押しかけていってまで言い直したらもっと失礼。 機会があれば(これ、とても大切)、カメラ屋さんのアドバイスで私にはとても有効だったと話せたらいいのだが。
昨日も今日も暑い。熱いお茶を飲むと汗が噴き出す。昨日は日曜だから蒸しタオルなしでも仕方ないと思ったが、今日も朝、顔用タオル1枚だけ。夜寝る前に熱いお湯で身体を拭く。 年配看護婦さんに4階を教えてくれてありがとうと言うチャンスあり。私の嫌な感じの返事を覚えていなかったようだけど、お礼を言えてよかった。Kさんにもさりげなくお詫びを言う。退院したらカメラをやりたいそうだ。急いで無理に訂正しなくてよかった。機会はあるものだ。
夕方、頼んでいた洗濯ネットと新聞を持って来てくれたときに次男に残っているマドレーヌを2個渡す。若い目のいいところで、モニターで確認してもらったら夜景は構図のよさそうなのが“惜しい!ブレブレ”だって。1枚はまあまあ夜景らしいのがあると言われ、へへへ…と喜ぶ。 公衆電話では話しにくかったブラ○ャーのことを頼む。来てくれるたびに私が機嫌よく元気になっているから、ま、安心してくれてるかな。こちらは家のこと猫のこと、ちゃんとやってくれる人がいるのはホントに安心なものだ。



《入院8日目》

6月4日(火) 晴れ
手術から7日目。8:30am抜糸。初めて中のガーゼを取り替える。昨日までは耳たぶ後ろの切開傷の消毒だけ。中を消毒?で拭いてくれるとき、一瞬めまい。むき出しの神経に触るかららしい。1センチ幅の10センチくらいの長さの真っ赤になったガーゼが3枚出てきた。それにしても外の傷の治りが早く順調とは嬉しい。肉嫌いで? いつも傷の治りが遅いから、今は心して何でも残さず食べているなどと、しばらく先生と蛋白質談義。
外来診察のとき、3時間20分待ったことがあって、患者も大変だけど、医者も看護婦もトイレにも行けないの?と思ったことがあったが、このGo先生、火曜日は早朝から待つ外来患者が少ないのか、こんな時間の診察とは!仕事が好きなんだろうなぁ。いつも活き活きとても楽しそう。横のDr.Ka(30代くらいの女性)がブスッとした顔しか見せないのと好対照だ。
今日、ネット帽子を取って、髪を洗ってもらった。頭がかゆかったからうれしい。ドライシャンプーだけど、とてもさっぱりいい気持ち。
斜め向かいのYさんからゼリーを断りきれなくていただく。
サッカーワールドカップ。日本、ベルギーと2―2で引き分け。ラジオで聞いているだけでも結構興奮してしまう。 次男現れて、Hさん(友人)から、病院教えてと留守電入っている。自分ですぐ電話してくれ。ハイッハイ。元気いっぱい夕方電話。入院のことは知らせていなかったのだけど、手術後気分いいからはがきを書いて出してしまったのだ。全くいい迷惑ね。ごめんなさい。はがきを3人に書いて出す。



《入院9日目》

6月5日(水) 晴れ
今朝からクーラー入った。お隣の人からもみかんをもらってしまう。今日は背中を看護婦さんに拭いてもらった。他は自分で拭いて洗濯を2度して洗ったばかりのを着る。一日中何冊も雑誌を読む。
同室の人たちにガンの人、ガン再発の人いて、いろいろ考えさせられる。 私は運がいいと喜ぶだけでは駄目でしょう。今もしガンで、五分五分と言われたら、手術する?同室の痛い痛いと言っている人たち。食欲なく眠れない人。再発の人。どんな気持ちなのか。真剣に考えてみなければ。
今日で朝夕2回の点滴終了。一区切りついた感じ。点滴導入針が長時間の挿入で炎症を起こしたとかで、最後の1回になって、液が入らず針の横からポタポタしたたる。あと1回なので血管の見える右腕にしてもらう。二重構造は便利だけど、こんなこともあるのだとか。

病院の大動脈?外の太いパイプ ヒイラギの老木――若葉はぎざぎざ、古葉は丸い
つい人間に模して考えてしまう



《入院10日目》

6月6日(木) 晴れ
8:45am外来診察室へ。中のガーゼ交換。強く引っ張られる耳たぶが痛いのは昨日と同じだけど、時間が少し短くて楽になった。点滴がなくなったら飲み薬が変わった。青と白のカプセル(抗生物質?)1個から2個に、緑と白の小カプセルが1個(これはいままでなかった)、白い錠剤小1個(多分胃薬)。
朝食後しばらくしてカーテン取替え。何故かレースがなくなった。
病室の入り口右の30代半ばくらいのまだ若い人のところへ、何度も医師がきて大声で話している。聞く気がなくても聞こえてしまう。肺の中の気泡に空気が入っているのを開腹手術じゃなく細い管を通して見ながら撃つ治療を薦めている。ただし全部が見えるわけじゃないから、取り残しもあるかもしれない。それでうまくいけばこのまま治まることもあるけど、再発の可能性もある。 また、このままほうっておいても症状が治まるかもしれないけれど、悪くすると次に症状がでたときには相当重いかもしれない。よく考えてどうするか決めてだって。インフォームドコンセントったって、こんな大部屋で、みんなに聞こえるところで、プライバシーもまるでなくて、他にどんな判断の基準も知らないのに、決心を迫るなんて。
セカンドオピニオンの制度もなく、 ただ患者本人に医師の考えを押し付け、責任を押し付けてるだけじゃないか。夫さんと相談していたが、彼だっておそらく素人。十中八九、お願いしますになるだろう。急を要しないのなら、 セカンドオピニオンを誰かにお願いして(残念ながらそんな医師の知り合いはいないのが普通)、アメリカなら同じ病院でも別の病院でも紹介してくれるそうだが……彼女は何か症状が強く出て緊急入院になって、症状も治まらないし、何らかの治療を受けなくちゃ仕方ないのだろうけど……
お隣と言うか真中のTさんは大分前に乳がんの手術を受けて乳房切除。次には肋骨何本目かを切って手術。今度は反対側の肋骨の何本目かをどうとかするって。痛みは背中から腰にかけて、吐き気があって、あまり食べられない。大腸に転移しているそうだ。眠れないのと痛みに対する薬をもらっているそうだ。 最初のガンのときの仲間のその後をよく知っていて、薬の名前、治療の順序。先生がもう、かなわんなと言っている。きっと末期というわけではないのだろう。
いややけど、なってしもたらしょうがないと言っておられるが、どんな気持ちで日々、痛みに耐え、時間を過ごしているのか。もう手術はしないのかな。ご本人は必要ならするつもりのようだが。病院食が召し上がれなかったら何でも食べられそうなものを食べていただいたらいいですから……なんて。末期の人に言うことじゃあ?…… 三○おじいちゃんを思い出す。背骨が痛いと言っているのが同じ。おじいちゃんは背骨というか骨髄まで転移して、よく突然倒れて意識不明になった。そのうち、直前にその発作が来るぞと分かるようになって、医師を呼び、強心剤を肩に打ってもらうと劇的に治まるんだと嬉しそうに話していた。その後数ヶ月で亡くなってしまった。25年も前の話だ。
おじいちゃんにはガンだと知らせていなかったから、疑っていたかもしれないけれど、今のように情報が一般市民にまで行き渡っていたわけではないし、死に至る段階にいるとは考えていなかったように思う。今はほとんど本人に告知するようだ。 最初のガンの宣告を受けたときに、その後の自分の人生をどう送るか、覚悟することが大切だと思う。
抗がん剤もいろいろ改良されて、副作用の少ないのも開発されているというが、 そんな風にして、つらい半病人の生活を後何年続けたいか。やっぱり自分の人生をどう閉めくくりたいかが大切じゃないか。やりたいこと、気になることがある人は、どんなことがあろうと苦痛をしのんで1年でも2年でも生き延びる必要があるだろう。私にはない。かと言って現実の苦痛をどうするか。手の施しようのない状態なら考えるまでもない。だけど多くの場合、オールオアナッシングではない。どこでここまでと線を引く?
そんな話をしていたら、これでよかった、幸せな人生だったと、今死なれては困る。みんなに謝ることはないか?と次男は言う。えっ、そう? 半分くらいはそう思う。私も。感謝だけでなく詫びねばならないと。 そう、やっぱりまだ半分くらいだなぁ。私が何もかも悪かったとは言えない。言うときが来るだろうか。


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