真珠腫性中耳炎・手術入院日記
2回目

《入院11日目》

6月7日(金) 晴れ
いつだって朝は気分いいが、今朝は何かとてもいい気分。7時近くなって、いびきかいて寝ている人は気の毒。きっと夜よく眠れなかったんだ。私は自分のいびきと寝言と咳き込みがあるかと気になる。自分の寝言で目がさめたのは手術後2日目。ことばも意味もはっきり大きな声。同室の皆さんはびっくりされただろう。                                4〜5日間は2時間ぐらいしか熟睡しないで、一晩に何度も目覚めていた。いつ起きてもシーンとしているが、ほとんど皆さん起きてらっしゃると感じる。他の人たちは、内科の疾患で外科で手術という人ばかりのようだ。 まだ便が出ない人。痛い人。食べられない人。本当に大変。Tさんでなくても、なってしまったらそれは仕方がない。痛みのもと、不具合のもとを絶たなければ。耐えて辛抱して、悪いところは治さなくては。だけど内臓は大変。息子がなんと言おうと、ストレスをためない楽天的性格はやはりありがたいと思ってしまう。ヨーグルトと山歩きと時々の旅行で体調を整え、元気な老後を送りたいものだ。

(9:30am)外来診察室へ
今まで土日も必ず自分で診てきたDr.Go明日明後日来ないのか。横で説明しながらDr.Kaに処置させる。まあ、今なら人に任せられる程度に回復しているということだろう。Dr.Ka、一度も笑顔を見たことがない。彼女も女性だけど、上司が女性というのはやりにくいものなのか。単にDr.Kaと合わないだけなのか。プライドがあるだろうけど、もっと盗むべきは盗み、真似すべきは真似した方が、自分のためじゃない?
(10:50am) 大部屋で真中のベッドというのは本当に気の毒。看護婦さんとの会話の時には、暑いのは団体だからしかたない、という言い方をしていたが、最初入院してきたときには、わぁ、この頃はみんな閉めっぱなし。前はオープンだったのに……と明らかに私にカーテン開けよと言わんばかりだった。
悪いけど、視覚だけでも何とかプライバシーが守られているから6人部屋でも我慢できるので、彼女の望むように、同室者がみんなオープンに仲良くおしゃべりしてというのでは私はストレスで病気になってしまう。

Tさんのところへ医師が来て、化学療法をしたいが、一度ご家族と話しておきたい。呼べますか?と言っていた。主人は来ますが……に、ご主人でなく、息子さんとか……娘でいいですか?とTさん。後で彼女は後妻さんで実の子は娘さんと、ご自分で話されて分ったが。息子もいますが……と言いながら娘を呼ぶと言い、婚家先の仕事で忙しいからと、午後にしたそうだったのに結局、医師の都合で11日(火)午前11:00と決められた。
医師が去った後、看護婦さんが入り口側の管いっぱい繋がれた人とやはりかなり深刻な話をしているときに、Tさんが声を殺して嗚咽していた。2〜3分だったけど。こんなの聞いちゃってていいのとたまらない気持ち。
今朝は背骨が痛むと言って、痛み止めもどんどん量を増やしているし、医師と抗がん剤どうこう言っているところを見ると、他の手段はないということだろうか?60代前半くらいに見える。今朝は覚悟したんだろうなぁ。 いつ死んでもいいみたいに言っている私だって、今の彼女の状態なら泣く。いつかは誰も命を終える。だけど今と言われればつらい悲しい寂しい。
彼女はさっき主人や娘や孫が来てくれれば気もまぎれるんやけど、と言っていた。きっといっぱい心のこりがあるんだろうなぁ。みんなと一緒にまだまだこの世を謳歌したいんだろうな。なんともいえない心地だ。
こんなとき私なら個室がいい。ひとりがいいと思ってしまうが、ひとりはさびしい。気がまぎれないと言う人もいる。
今回私が個室にしなかった一番の理由はもちろん経済性。次回何かで入院となっても先ずは大部屋にする。迷惑はお互い様だと分かったし、大抵我慢できる自信がついた。というか、確かに周りに人がいるというのもなにがしかの安心感はある。
Tさん、元看護婦さんなのかもしれない。現役さんが勉強させてもらってますと言っている。医療は日進月歩だから、言葉どおりではないだろうけど。

言うこと厳しい次男が3時過ぎと8時の2回来てくれる。うれしいねぇ〜!。1度目は新聞と手紙を持って。その後手紙の返事を書いているうちに夕食になって、8時には、3時に頼んだお菓子と紅茶を。ありがたくホット紅茶でお菓子をいただく。

どこも痛くなく気分よく、食欲も便通もあり、何か変わったこと困ったことはないかと、毎日看護婦さんに尋ねられても、ありませんと答えるのみ。あえて言えば、右を下にして寝られないのが少し不自由くらいのこと。
耳鳴りはないかと、先生にも看護婦さんにも毎回聞かれるが、ないときっぱり。これは真実ではないけれど、子供のときにも耳鳴りはあったし、人間の耳は内側で時々音がするものなんだと思っていた。 前回の手術後、常時耳鳴りがするようになったが、手術しなかった方の耳も音はするし、そのことを伝えた別の医師は、機械のどの音と同じと判断できない私に絶望したようだったし、この病院でも聴音するたびごとに耳鳴りの音は大きくなるが、必要で調べていると分かるから、それも言えない。 Dr.Goはきっと怒鳴らないし、絶望せずに、説明してくれると思うけれど、自分としては、耳鳴りの原因は分からないことの方が多いという常識につくことにする。更年期障害からかもしれないとも思う。 めまいがなく、顔面神経痛がなく、真珠腫がたまらなければいいと思っている。ただ、医師の経験と研究のためには真実をちゃんと言う方がよかったのかも知れないが。

《覚え書》
退院時に医師に尋ねること
1、CTスキャンで見えなかった脳の骨はなくなっていたのか?
2、洗髪、毛染めはいつ頃可?
3、アルコールは?
4、飛行機でひどい頭痛がおこるか?
5、してはいけないこと、注意することは?




《入院12日目》

6月8日(土) 今日も晴れ
夜中にピーピーと鋭い音で目覚めその後なかなか寝付けない。朝方になってぐっすり寝たらしく、7:00前に隣のTさんが我慢が切れたようにバタバタと音を立て始めて、ボーと起きることに……
夜中のピーピーは、入り口のOさんの管に繋がる機械の警戒信号音だった。Tさんがさすが元看護婦さんらしく、一足早く詰め所に告げに行っていた。Oさん本人は薬の力でようやく熟睡していたところらしかった。
Tさんは、よく眠れないからと飲む時間を変えたりして。つらいだろうなぁ。大変だなぁ。 9:00am過ぎ、夫スーツ姿で現れ、5月の入院料4日分と手術費を払いにと。そうか、今日は土曜日。ゆっくりご出勤なんだ。なるほど。8万円弱、払ってもらって助かった。生活費から払わなくてすむ。昨日次男がかためて持ってきてくれた新聞を読む。

今日は初めてDr.Kaが中のガーゼを交換してくれる。昨日予行演習したから簡単なものだろうが、Dr.Goほどきつく耳たぶを引っ張らず、痛くなくていいようなものの、こんなじゃ奥まで見えているはずないだろうと思う。 自分の手術患者じゃないし、もう大丈夫と分かっているからだろうか。さすがに今日はいつになくにこやかな笑顔で話し掛けてきた。その調子、その調子。どんどん先輩のいいところは盗むのよ。頑張れ。
Dr.Goは痛がろうが跳び上がろうが、それは外の傷の皮膚がまだつっぱっているからで、どんどん伸びてきているから大丈夫と言いながら、抜糸後は自信を持って、ぐいぐい引っ張って中の具合を見てくれるのがとても信頼感が持てて、腕が確かだと確信しているからますます安心できるのだ。




《入院13日目》

6月9日(日) 晴れ
入院以来今日初めて、起き抜けに快晴の真っ青な空の下に山が見えないのは寂しいと感じた。ここに慣れて贅沢になったか? 昨夜、真夜中に長い間ゴミ収集車がガラガラゴロゴロと派手な音を立てて窓の外でやっていると思っていたら、何とイノシシの大合戦だったそうだ。何頭いたか数えられないくらい、おとなとウリボウといっぱいいて、缶の入ったごみ袋を引きずり回し、追いかけ回してあの音だったらしい。Tさんは見たのだそうだ。痛くて苦しくて眠れない人もいる病院で、不謹慎だけど私も見たかった――!
5:30am、夜が明けてはいたが、休憩室で男性ふたり、ようやく熟睡し始めた人もいるのに、話し声の大きいこと!中年女性はオバタリアンなどと、いつだって悪く言われるけど、こんなときはいくら明るくても、周りが静かならもっと声を落とすよ。まったく・・・
今朝初めて(今日初めてがやたら多い)食パンをトースターで焼いた。貸してもらえるのだ。黒パンだが、胚芽とかライ麦とかじゃない。多分ココアか何か。柔らかくほんの少し甘め。でもやっぱりトーストの方が食べやすい。マーガリンもよく伸びる。

今日は日曜日。天気は快晴。外来患者はいない。カメラを持って病院の敷地内をうろうろする。シジュウカラのツッピー、ツッピーが賑やかだけど姿は見えない。しばらくして目の前にシジュウカラくらいの鳥が4〜5羽木の枝に止まるが、逆光でおなかが白っぽいのと尾の形が魚みたいしか分からない。鳴き声はピーピー。ネクタイもないしシジュウカラじゃなさそう。
ヒヨドリが2羽。人をからかうように目の前のヒイラギに止まったが、青黒い実が2〜3個しかない。そばの枇杷の実にいかないのはまだ熟していないからかな。入院当初デザートに出た小さい枇杷はここの自家製かと思ったがそんなわけないか。
パジャマのままでと一瞬躊躇したが、表通りに面したフェンスの近くに多いアジサイを撮る。もう1週間以上も雨が降らないからだろう。花びらが反っているのや、うつむいているのや、かわいそうに梅雨の花だのに。

タイサンボクは花盛り。あそこは普通の患者には死角だ。多分耳鼻科待合室の隅から見えている木だろう。 南棟の南側にある何本かのクスノキ。入院時に赤い新芽をつけたり、白い花をつけていた。1本だけ、特別扱いの枝ぶりもしっかりして、よく見ると葉っぱのつやも違う。色は濃い目で少し厚め。木肌はクスノキそっくりに見えるがなんという木だろう。
どう見ても柿の実に見える実をポツポツつけた大きな木。葉っぱも枝ぶりも私の知っているあの柿の木と違いすぎる。なんなのだ?この木? 夾竹桃は株は大きいけれどあまり花がついていない。他に、サクラ、ヒマラヤ杉?ヒノキ、カエデ、キリ、アオキ、クチナシ、生垣にイヌマキ? ツゲ、ツツジ等。

《同室者のこと》
Tさん:命に関わるほど病状が深刻のよう。痛い、苦しい、眠れない、吐き気がする、食べられない。
Oさん:肺気腫だそう。元の原因が子宮内膜症だとか。子宮内膜症って、宇多田ヒカルのように卵巣にできた り、
     腹膜のあたりにできたり、肺胞にまで。やっかいなものなんだなぁ。薦められた簡単手術をしたようで、
     長い間モーター音のする機械をつけたまま、痛い、苦しい、吐き気、不眠、食べられない。
Kさん:腹痛、吐き気、便通がない。ガン再発か検査結果がはっきりしない。
Yさん:乳がんで乳房切除。
もうひとり入り口側でほとんど出て来ないでいつもテレビを見ている年配の人。

手術はしてもその後の症状に対しては対症療法あるのみか。医学は限りなく無力なものに見える。 放っておけば我慢できないほどの痛み、命に関わる病気の場合、外科手術はやむをえない選択なのだろうが、人間は、痛み、苦痛、吐き気、不眠、食べられない、では日常生活は送れない。 薬のせいか、手術のせいか、病気そのもののせいか。苦痛の原因も分からないで、これをしてみよう、あれをやめて様子を見ようと、あれこれやってみて、いわば本人で実験して症状が軽くなれば、合うのが見つかった。おめでとうということらしい。つらいなぁ。
医師がごくごくプライベートなことを大声で話す――婦人科の医師が、生理が始まったらこれをやってみましょう。次はいつから?――なんて不見識だと腹を立てたが、でも、いっそ腹をくくれば同室の先輩の話や助言や励ましを得られていいのかもしれない。 本来の性格から言えば私もその方が合っているかもしれないのだが。気が小さく弱くて、人の経験を聞いて安心したり、励まされたりというところが少なからずあるからなぁ。 ただ知らない人とそうそう簡単に自分の病気に関して馴れ馴れしくなりたくないだけ。

退院を急ぎたい事情はあるかと、Dr.Goに聞かれ、ないと答える。せっかく手術して今まで入院していたんだ。少しでも安全確実性が増してから退院したい。2〜3日早くても別に何も変わらない。
OさんやYさんのように子どもさんが小さいと1日も早く帰りたいだろうけど。Oさんは苦しい毎日に耐えながら、こんな大ごとになるなんて夢にも思っていなかった。ちょっと痛みをとってもらうくらいに思っていたと繰り返し言っている。気の毒に。

脳の骨はなくなっていたのか尋ねるとポコッと小さい穴が開いているだけで問題ないと言われる。ポコッとって、へこんでいるだけか、小さくても脳とツーツーかまでよう尋ねんかった。 今週中には退院できるでしょう。中の傷が本当に乾くには何ヶ月も掛かるので、その間入院とはいかないから、月に1、2度通ってもらいますという話だ。体調もいい。気分もいい。食欲もあり、退院の話はやっぱり嬉しい。
今日で2度目の日曜診察。前回はお昼前だったが、今日は午後遅め。責任感だけで、休日出勤なさるんだろうなぁ。 だけどまぁ医師というのは、これほどやりがいのある仕事もそうないだろうし、きっと患者にはもちろん、医師仲間でも優秀だと高く評価されているだろうし、幸せな人生だと思う。



B A C K H O M E T O P N E X T