

2日目 2012年9月 1日(土) 晴れ
宿を8:00にバスで出発。すぐにハイキング登り口に着きました。
桃岩トンネルを右手に見てゆるい階段状の道を上ります。まわりはすぐにお花畑。
本州ならかなり高い山でないと見ないような高山植物といわれる仲間の花ばかりです。 9月になっているからもうあまり花はないかと思っていましたが、秋の花も咲き、夏の花も残っていて、大きくて色の鮮やかな派手なのはありませんが、印象深いここならではの花にたくさん出会えました。
小型のトリカブト、リシリブシが花盛り。歩き始めからお花畑の終わるまでずっと道の横で風に揺れていて心に焼き付けられました。
リシリブシに限らず、有名な礼文の強い西風。どの花も草もゆれゆれです。見かけた花は名前も分からないのも後で調べればいいからと次々撮りましたが、果たしてどれだけ姿形が分かるように写せたか、自信がありません。
もしかして、全部ブレブレ写真で使い物にならなかったかもしれません。すばらしかった景色、すばらしかった花々をお見せしたかったのになんて思っていますけれど。証拠がなくてむしろよかったのかも・・・。
(私たちが歩いたこの日に撮影されたリシリブシの写真を見つけました。NPO法人礼文島自然情報センタースタッフによる花情報です。)
他に印象に残っている花でその場で聞いて覚えているのを挙げてみますと、
エゾノコギリソウ(白)、キタノコギリソウ(ピンク)、白いのは桃岩展望台(244m)までに多く、ピンク色のは元地灯台(210m)から知床(0m)への道でというか、海のすぐそば知床の家々の横で見ました。本州の山のよりも花が大きくたくさん固まって咲いていました。
花が大きく黄色いヤナギタンポポ、葉が柳のように細長い、
1輪、2輪、道にはみ出すように下のほうにひっそり咲いていた可憐なエゾカワラナデシコ、
意外に地味な白い6枚花弁のリシリソウ、
今頃まで見られると思っていなかったレブンウスユキソウが案外たくさん残っていて喜ばせてくれました。
白くて大きいエゾウメバチソウ、
小さいマメ科らしい赤紫のレブンソウ、
花序の長い立派なレブンシオガマ、
ナガボノシロワレモコウに似ている背の低いチシマワレモコウ、
チシマリンドウ、
黄色で数が多く目立つハンゴンソウ、
本州でも見たことがあるヨツバヒヨドリ、シオガマギク、ツリガネニンジン、ハナイカリ、ダイモンジソウ、イブキジャコウソウ、ミソガワソウ、ヤマハハコなどが次々に何度も現れました。
花が終わっているけれど、ニョキニョキ丈高く立っているエゾニュー、ウドなどがここの草原の独特の雰囲気でした。
頂上に近い桃岩展望台(244m)は歩き初めから約1キロとか。ここまでのゆるやかな上りでもういいわ、あと4.5キロを歩きたくないという人は、ここから引き返せばバスが待ってくれていて、歩いていく人の最終地点知床までバスで先に行っていることができるということでした。
そういう話が出る前に下りた人がいたかどうか分かりませんが、 誰も手を上げる人はいなくて、みなさん、歩きました。
きれいなトイレもあり、しばらく休憩して出発。ここまでも風は強かったけれど、島の西側になってからは一段と強風で、これほどの晴天でなければ寒く感じたかもしれないと思いました。
6月に行ったことがある妹が、寒いよ、軽くて暖かい上着がいるよというので薄手ダウンジャケット、
レインスーツ上下、ウール山シャツ、薄手マフラーなど用意しましたが、気温は26℃〜28℃だけど、日差しが強く結構暑く感じるほどで、結局何も要りませんでした。
ここも昔、山火事で樹木がなくなり、強風と低温で以後木が育つことなく、一大草原になったのだそうです。
桃岩展望台には、その名の由来桃岩(248m)が目の前にあって、しばらく歩くと、遠くにゴロタ岬、近くに猫岩(海のほうに向いて背を丸めている猫のような形の岩)、あるところからは少し遠くに地蔵岩、どんどん元地灯台から下りると真下にさっきの猫岩が見えたり、家が見えたり。
左側の海の向こうにそびえている利尻富士の雄姿は相変わらずよく見えて、時々うすい霧がかかっても見えなくなることはなく、よほど運のいい日に当たったのでしょう。
天気よく、景色はすばらしく、花々もきれいで、アップもダウンも全然苦にならずに山道は歩きましたが、「北のカナリアたち」という映画のロケ用に建てられたという学校が見え始める普通の道になった頃から未術の左股関節まわりが痛くなって、スピードが遅くまではなりませんでしたが、杖にすがって足を引きずって歩いていました。
気持ちは最高だったんですけどね。磨り減った軟骨と鍛えていない筋肉には過酷だったのでしょう。術足は元気そのもの。どこも痛くなっていません。かなり痛かった左足でしたが、翌日は少しましになり、翌々日には元に戻りました。
こんなに歩くと思っていなくて、今回はシップ薬を持っていくのを忘れました。温泉でよく揉みほぐして、シップを貼って寝ればもっと早くに痛みは取れたと思うのですが。
午後は、バスで岬めぐり。むかし申し込んだことがある8時間ハイキングコースの始点スコトン岬。人が住んでいる島では一番北になる岬とか。
風が強いのは桃岩で経験済みだからそれほどに感じません。北にある無人島、トド島も見えました。
ここは日本海だからか、思っていたより海の色が明るく、あ、やはり、快晴だったからでしょうね。北の果て、さいはての海という印象はありません。
澄海岬でもバスから下りてそれぞれに記念撮影。どこでもいい天気で、見えるべきものが全部見えて、朝、メインのハイキングで花と景色を見ながら歩いた後だからでしょうか、何だかそれほどの感激もないのね。天気が悪くて強風と雨にでも遭っていたら、ここへこれてよかったとしみじみ思ったのでしょうけれど。
生きて動いているウニをひとり1個ずつ道具を使って剥き方を教えてもらって、殻から割り身を取り出して食べました。
生きて動くウニを割る快感。身をすくう醍醐味。ちょうどいい塩加減。結構な体験でございました。
香深港16:10出港、16:50利尻島・鴛泊(おしどまり)港到着。今夜も宿は港の近く、利尻マリンホテル。露天風呂はないけれどいい温泉でした。
乗船時間は40分。やはり近いですね。港間はもっと距離がありますが、礼文島と利尻島の一番近いところは8キロしか離れていないそうです。
写真も画像もない本人だけがうれしがって思い出して書いている旅日記。こんな最後まで進んでくださってありがとうございます。
昨年夏に行った種子島・屋久島もすぐ隣りあった島だのに、全体の見た目も岩などの形も島の人々の暮らしも全く違っているのが興味深くて、ごく簡単に島の成り立ちを調べました。
今回も、もっと近い二つの島がこんなにも違っている不思議を解りたくて、現地で買った本などで調べました。
よろしかったら、お付き合いください。
礼文島と利尻島は北緯45度を超える高緯度にあり、北海道の西北約20キロのところに8キロしか離れず2つ並んで浮かんだ島だけれど、
その生まれ方は全然違うらしい。
恐竜が闊歩していた白亜紀に南北に細長い礼文島が先に生まれ、1億年以上もひとつぽつんと海上にあったとか。
丸い形の利尻島が生まれたのは1千万年前。いつかはっきりは分からないけれど、利尻の中央から火山が噴出し高さが1800メートル近くなるのに数十万年かかり、二つの島は何度も地球の氷期を過ごして、同じ植物であっても起源が違うというものがいくつも残っているのだとか。
利尻の高山帯に定着したのが初期の氷期のころで、礼文には氷期の終わり頃に南下したと思われているそうです。
別々の生い立ちを持つ利尻礼文が、もっとも寒冷だった最終氷期の数万年前にひとつの島になったことがあり、氷期が終わった後また離れたのだとか。
生い立ちと、強い北西風をいつも受けている礼文島が風除けになっている位置関係が、今の二つの島のかたちと自然を作っているのだそうです。
何だか分かったようなわからないような変な感じですが、利尻にあって礼文にない植物。礼文にあって利尻にない植物。どちらにもあるけれど、ちょっと違う植物。おもしろいですね。
利尻ーーーアイヌ語「高い山のある島」を意味する「リイシリ」から。
礼文ーーーアイヌの言葉で「沖の島」を意味する「レプンシリ」から。
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