イ ン ド   ちょっとだけ


1日目 2月28日(土) 晴れ  デリーへ

午後1時過ぎに関西空港から、機体の赤い飾り文字がインドらしい(?)インド航空で香港経由、デリーに。同じ飛行機で直行便だから、飛行時間は短いほうだと言われたけれど、12時間半。地図で見ると近いのに、ヨーロッパと変わらないのは何故?時差は3時間半です。
中国南西部を通るのなら、雲南省あたりの高山が見られるかと目を凝らしていたら、下に険しい雪山が。どのあたりかはわからない。

インドはテロ対策で検閲がとても厳しい。電池、ライター、金属製のものには厳しい対応で、男性女性に分かれて、からだに直接触れての身体検査。荷物検査も、リュックの小さなポケットまで全部開けて触って確かめての検査でした。

デリーのホテルに到着したのが11時半。部屋に入って驚きました。エントランス、ベッドルーム、リビングルームがそれぞれ広く、家具が豪華というのではないけど立派。バスルーム、シャワールームが別々にあって、トイレ2ヶ所、洗面所2ヶ所、化粧室(パウダールーム?)1ヶ所。テレビ2台、等々。これは名前だけは聞いたことがあるスィートルームでは! スィートにたったひとりというのも・・・どうなんだか。6時間ただ寝ただけ。あぁ。



2日目(イ) 2月29日(日) 晴れ  デリーの朝

比較的ゆっくり、7時起床。Muさんは、早朝ホテルを出て散策、リキシャに乗って15分ほど近くを回ったそうで、その好奇心、実行力に脱帽。リキシャは値段を吹っかけるとか、とんでもないところへ連れて行くとか、怖い話に事欠かないようだのに。
英語力に自信があって、旅の意義は現地の人との交わりという人ですから、熟年観光者そのものの臆病な私などとは大違い。

インド最初の朝。ホテルの窓から見えたのは、朝もやにかすんだデリーのビル群から昇る朝日でした。これがデリーの日の出。大自然に身をおいて見る神々しいような日の出と違って当然。カラス、トビ、ムクドリ、ハトが街はずれのアパートの上を早朝から賑やかに鳴きながら飛び回る。どこでもこれが大都会の光景でしょう。

8時45分、若い助手も乗せて中型バスはアーグラーに向けて出発。バスが止まるとワァーと集まってくる物売り対策や、防備の甘そうな後ろのトランクルームの安全管理のための助手のようです。バスの昇降時に手をとってくれるのがこそばゆい。振り払えないし、日本女性特有の奥ゆかしい微笑み・・・じゃなかった照れ笑いでごまかして。
午前中、バスは“そこのけそこのけ、のかないほうが悪いんだぞ” とばかりに絶え間なく警笛を鳴らして、車体の古さから想像する能力を超えてぶっとばし、アーグラーに着きました。そんなに鳴らさず、ゆっくり行こうよ、と言いたいけど、それではきっと明日になっても着かないのでしょう。車同士互いにほとんど譲り合うことがないように見える走行。運転技術は大したものです。ちょっとこわいけど。

早朝は結構涼しくても、昼間は暑く、冷暖房のないバスでは窓の開閉と衣服で温度調節です。ただ、かつての日本でも田園地帯でかいだことがある強烈なにおいが時々押し寄せ、うぅっと息を止め、あわててみんなが窓を閉めます。
衛生面はともかく効き目抜群、化学肥料などより安全な農産物生産方法なんだけど・・・後で聞くと、肥溜めとか野つぼとか(こんな言葉、若い人は知らないかもしれませんが)じゃなくて、田舎ではトイレのない家が多いそうで、老若男女、みなさん外で、どこででもだそうで・・・暑い国だから発酵が早く、すぐに肥料になるのか。



アーグラー城


予想をはるかに超える広いお城。ムガール帝国第3代皇帝アクバルによって築かれ、次々に建物を増やしたムガール帝都城砦だそうです。
城壁、門、謁見室、宮殿などが、迷路のようにあちこちに広い中庭を配して次々に現れます。
赤砂岩でできた建物いたるところに精巧な彫刻が施してあり、一見木造かと思うような造りです。


イスラムの建造物ですが、柱の象の頭の装飾や卍模様なども取り込んで、ヒンドゥや仏教も融合したものを考えたのだそうです。今のインド人も、日本人のように他宗教に対して寛容な民族なのでしょうか。寛容と言えば聞こえがいいけど、ほとんどどうでもいい、こだわらないのが一般的日本流。
非常に細かい細工の謁見室 意外に近く、タージ・マハルが見える
タージ マハルを建造したシャー ジャハーン帝が息子によって幽閉された塔がありました。同じヤムナー河沿いに建つ自分が建てた后のお墓タージ マハルを7年間眺め暮らして、この世を去ったそうで、まるで作り話みたいだけど、本当の話だそうです。


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