九 寨 溝 ・ 黄 龍
九黄〜重慶へ、飛行機で

6日目 2006年7月17日(火) 晴れ

4時起床。この旅では一番早い出発、6時30分のところ、47分になりました。チェックアウトは、全員の鍵が返ってから、添乗さんの立会いの下、各室を全部見てまわったのだそうです。備品がなくなっていないかまで、徹底的に調べるそうです。もう必要ないから、新品1本と使いかけ1本の酸素をテーブルに残してきたんだけど、多くなるのはいいわけかぁ。
標準時間が北京時間1つだから、北京より大分西に位置する黄龍では、真夏でもこの時間はまだ夜明け前。当然夜が遅いから、昨日の黄龍散策も、日本では考えられない6時半に山から帰着でOKということで、助かったのですが。

空港までバスで1時間くらい。ホテルのお弁当をもらってバスに乗り込み、そのお弁当は空港で食べました。
時間が短いので、今日は誰も並びません。それぞれに席に落ち着いて、目をつぶる人、黄龍最後の景色を眺める人。山道をぶっ飛ばしますからよく揺れます。カーテンのタッセルをしっかり握っている人も。
しばらくして、太陽が高山の頂を赤く染め、神々しい山の朝があけました。空港到着は7時55分。
8時45分に出発予定の飛行機は4時間遅れました。標高の高いところだからか、ここ九黄空港ではよく霧が発生して、飛行機の離発着が遅れるそうです。それは仕方ありません。気象条件が思い通りにいかないのは世界中同じで、もちろん安全第一。外の霧を見れば分かるし、みんなおとなしく待ちます。
天候が回復して、3時間遅れで出発ということで、みんなが乗り込んだ後、あと5人乗る人が遅れているのでしばらく待って欲しいと機内放送。予定の時間よりすでに3時間も遅れているのに、その飛行機に遅れてくる人を何故待つのか、誰もが不審に思いましたが、みんなぼそぼそと隣とぼやくばかりでした。

1時間待っても誰も乗り込んでこず、みんなイライラし始めた頃、まったく何の説明もなく、「遅れていた飛行機は今出発します。」 とだけ、中国語と日本語で言って飛び立ちました。日本人男性が 「ちゃんと説明しろ。」と大声を出しましたが、何の反応もありません。すると、後部座席の5〜6人が、中国人か日本人かは分かりませんが、どんどん前に歩いていって、ビジネスクラスの椅子にどっかと座りました。
それに対しても何の反応もありません。後で人から聞いたところでは、軍関係者の場合はこういうこともあるようです。
ところがびっくり、トラブルはこれだけではありませんでした。重慶空港について、荷物の出てくるベルトコンベヤーでいくら待っても荷物が1個も出てきません。私たちと違うほうのバスに乗っているベテラン男性ガイドが、空港関係者らしい制服姿の女性をつかまえて、大声で抗議を始めました。あの飛行機には重量オーバーで荷物を積まなかったといっているらしいのです。次の便がいつになるか分からないがそれに積んでくるだろうと言っているらしいのです。
単なるミスではないようです。遅れて乗る予定だった5人と関係ありそうです。実は、飛行場で待つ間、することもなくボーと、停まっている飛行機を見ていたら、私たちが乗るほうの飛行機じゃない飛行機の横に、私のスーツケースにそっくりのスーツケース、ベルトも同じ、タグまで同じ赤いのが、台車に他の沢山のスーツケースと一緒に乗って、積み込まれるのを待っているように見えたので、よく似たのがあるものだなぁと思っていたのです。
結局、納得できる事情の説明も弁解も一切なし。ベテランガイドさんとベテラン添乗さんを空港に残して、日本から大勢でやってきた重要人物のグループだと思わせるような交渉をしてもらったのじゃないでしょうか。本日中、それも急いで荷物を運ばせたようでした。夕方私たちが市内観光を終えてホテルに入る頃には届いていました。真実なんて当局が話すわけない国ですよね。若いガイドの唐さんは、個人は弱いですから・・・とボソッと言っていましたが。

重慶市内観光、3ヶ所

私たち1号車のバスには、ガイドの唐さんだけが、2号車には若い添乗さんだけが乗り、市内観光に繰り出しました。写真は重慶空港を出てすぐバスから撮った空港建物。
みんなの憤懣と不安を和らげようとしてくれているのか、いつにも増して饒舌な唐さん。必死でみんなを笑わせてくれます。 曰く、「僕は若く見えますが、もうすぐ30歳です。でも独身です。重慶の女性は、お目が高いです!」 日本と同じように三高望みの若い女性が多いという話から、‘理想が高い’とか‘望みが高い’というべきところでしょうが、わざとか知らないでか、ええ、思わず笑っちゃいましたよ。
重慶は美人の城というニックネームがあって、あまり太陽が照らず、女性が色白、うそつかない、背が高い、彼はこの順番で言ったので、重要度がこの順なのでしょう。必然的に、女性が非常に強くなって、仕事も家事も全部男性がするそうです。仕事をして帰って夕飯を作って洗濯して掃除してと言っていましたが、ほんとうかなぁ・・・朝食は外で食べるのが一般的だとか。

重慶はとっても暑かった。これを書いている今(8月13日)のテレビニュースで、重慶の気温が連日40℃を超え、配水車で水をもらっていると街の風景を映しながら伝えていました。この日、7月17日は36℃でしたが、前日までやはり40℃だったそうで、その湿度の高さと合わせて、まったく耐えられない暑さです。昔から重慶は暑くて蒸すことで有名だそうで、毎年死者が出るとか。今は個人の家でもクーラーがついているけれど、以前はデパートの入り口で寝そべる人が大勢いたそうです。
重慶はさすがに大都会。昼食のレストラン“準人当代美術館?”は、今までで一番味がおだやかでおいしく食べられました。


磁 器 口

ずっと昔はここで磁器が焼かれていた時代があったけれど、今は、昔の街並みをそのまま残した重慶唯一の場所ということで有名だとか。
街の入口の門、外から見たところ 内側から見たところ
古い石畳と古いつくりの家と店
観光地として有名なのか、住人でなさそうな中国人も多い
ただひょうたんだけを売っているみたい
狭い路地、櫛の大看板が面白い 川へ下りていく階段、下には門 水運が盛んだったのだろう
川から上がってくる人のための
門らしい
飴細工、龍を描いている 狭い路地に階段が続く こちらは上る階段
好奇心いっぱいでどんどん階段を
上っていかれる旅仲間
看板が面白い どんな狭い窓にも中華風桟 比較的新しい建物、アパートか
これからここにもこういうのが
増えるのだろう
チベット風の色合いの店、真ん中の頭骨はヤク 閉めてある古そうな店の扉

重慶朝天門広場と街の景色
左は磁器口近く、バスに乗って1分で右の景色になる
ガイドの唐さんはこの碑の筆者江沢民を非常に尊敬しているようで、それぞれの記念写真に、
必ず江沢民の字が入るように撮ってあげながら、「中国の誇り」と繰り返していました
食事処らしい川舟 長江の支流同士が合流する場所
川の水色が違う

マリオットホテルと火鍋


今回も高層階、立派な設備と外の風景を楽しませてもらいました。夕食はホテルではなく、重慶名物と言う火鍋料理を食べに外へ。

なるほど、火ですか。唐辛子とねぎ、山椒が最初から入っているというスープ汁が真っ赤な鍋のことで、白いスープと鍋の中で分かれているのもあります。赤いほうも白いほうもどちらもおいしい。
しゃぶしゃぶのように自分の食べる分を軽く洗うように火を通して食べます。牛肉、豚肉、鶏のささ身、わかめ、きくらげ、こんにゃく、冬瓜、どれもそれぞれにおいしくて、材料がよくて辛味が適当ならおいしいのだと分かりました。

席はひとり参加の人だけのテーブルとして決められ、個室のような感じの小部屋で10名くらいの人で仲良く鍋をつつきました。男性のひとり参加が多く、当たり障りのない話のときはいいけれど、それぞれに一家言をお持ちの方ばかり。そこへ、何も知らないのに、私ときたら久しぶりのビールの勢いもあって、すぐに余計なことを口にして鼻白ませてしまったり。ところがなかにはそれを面白がる人もいたりして、なかなかむずかしい。
以前南米の旅で、ちょっとエッチな軽口をたたいて笑わせておられた同行男性の賢明さが、しみじみ思い出されました。
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