尾 瀬 ・ 春
豊かな自然、尾瀬はまた、壊れやすい貴重な自然

初めての尾瀬は、ミズバショウのころでした。山歩き仲間3人に、尾瀬に行きたい、一緒に行こうよと熱烈お願いして、翌年実現。尾瀬沼から尾瀬ヶ原一周の旅。 10代の頃聴いた ‘夏が来〜れば思い出す〜♪’ あこがれのミズバショウ、尾瀬。行ってみると、すごい人・人・人。ミズバショウは人と人のすき間からのぞき見る感じ。すれ違う何百人の人たちと“こんにちは”を何回交わしたか。のどがかれました。だけど、尾瀬はすばらしい。夢中になりました。
近くの温泉1泊、山小屋1泊、帰りのバスの中で1泊のバスツアー強行軍。元気に歩いて元気に帰ってきました。あの頃は若かった。ま、今よりは・・・ですけど。
三平峠から三平下へ下ると忽然と現れる尾瀬沼と燧ケ岳 、声も出ず、ただ呆然
このときのコースは、
大清水――三平峠――尾瀬沼――白砂湿原――下田代十字路(見晴)、『燧小屋』で1泊、
翌日、下田代十字路――東電小屋――ヨッピ橋――竜宮――牛首――山の鼻――鳩待峠

6月といえば下界では初夏でも、春の遅い尾瀬では雪があちこちに残って、前の人の杖がとんがっていて怖いし、杖のない自分は滑って転びそうだし、救援ヘリコプター1機出動100万円!の声に脅されつつ、ドキドキわくわく歩きました。 ボッカさんに会いました。すごい荷物をしょっています。頭上をヘリコプターが、ビールやジュース、トイレの中身まで運んでいきました。当時は、尾瀬に入ってしまうと電話も通じません。
あと5キロほどで山小屋というところで女性ひとりが高山病で苦しくなって、添乗員さんと残り、夕方で薄暗くみんな心配しましたが、1時間ほど遅れて小屋に着かれほっとしました。 標高2000メートルもないけれど、睡眠不足や疲れなどから症状が出ることがあるそうです。予防に水分をたっぷり取るようにと教わりました。
上の写真2枚は同行のHさんから分けていただきました。高校生の頃、ファインダーからのぞいた景色しか覚えていなくてがっくりきてから、旅では写真を撮らないと決めていたのが、このときから宗旨替え。しっかり景色を楽しんで、写真は写真で撮ると決めて、以後カメラを持つようになりました。
<1994年6月>



春2度目に訪れたのは7年後です。その間2度、秋、草紅葉のころに来ましたが、老親3人の介護や何やかやで、心身が疲れて、ちょっとだけ尾瀬をのぞきたいと突然思い立ち、数日後のツアーにひとり分ならあるという空席にもぐりこんでの尾瀬行きでした。
最初の一周のときだけ、大清水―三平峠―と進みましたが、尾瀬歩き5回のうち、あとの4回は鳩待峠から尾瀬ヶ原に入りました。石の階段を下り始めてしばらく、道が木道になる頃、左側林の向こうに雪をいただいたなだらかな至仏山が見えます。
懐かしい尾瀬。私の尾瀬。人によって何がどこが自分にとっての尾瀬かはそれぞれ違うでしょうが、鳩待峠から下りることの多い私は、ここのブナ林の中から見上げる至仏山が、「こんにちは、おひさしぶり、また会えましたね。」と挨拶する私の尾瀬。この季節、深い青緑と白の残雪がなんともいえず美しい。
ブナ、ナラ、カエデの柔らかい浅い緑。濃い赤紫が鮮やかなムラサキヤシオツツジ。控えめなミネザクラ。足元の可憐な花々。みんなみんな、こんにちは。
ツアー仲間の90歳過ぎの男性が、林の中の木道から転落してこぶができました。なにやら言い訳を言っておられましたが、きっと、もう山歩きは止めと同行の奥さんから言われるのだろうなぁ。どんなにお元気そうでも、90歳は危ないかな。
ハウチワカエデ、新緑
鳩待峠から山の鼻へ下りる林の中の木道 ブナ、新緑

            
帰り道、午後の光を浴びる至仏山、湿原は枯れ野のよう 拠水林と山は新緑、湿原の緑はもうすぐね
2度目の春は、他のいろんなところを回るツアーで、時間が短く、牛首の少し先の休憩用テラスまで行くのがやっと。数週間前に、父が息を吹き返しはしましたが、一度息の根を止めるのに手を貸した気がして落ち込んで何も手につかない日々が続いていたのが、いろんな思いが全部尾瀬の空気に溶けたように感じて、生きる力を取り戻し、また介護の日常に立ち向かえるようになりました。思い切って出かけてよかった。元気の源、尾瀬。
沢山の花に会いました。ぶれぶれのひどい写真ですが、林の中の木道脇と湿原で見つけた花を次のページに・・・
<2001年6月>


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