大 和 路 散 歩


夢殿(国宝)



2007年3月21日(水) 晴れ
大和路散歩第5弾は法隆寺に決めて、できたばかりのJR‘さくら夙川駅’(右写真)を利用。昔、関西線といったJR奈良方面行き大和路快速に大阪で乗り換え法隆寺へ。
法隆寺駅(下写真)はとても新しく、世界遺産に登録されて新しくしたのかな? 後でタクシー運転手さんから聞いたところでは、屋根に瓦を載せて斑鳩の里をアピールしているとか。役所や他の公共の建物もそうしているそうです。
ま、民家も建て替えのときなどはいろいろ厳しい注文がつくそうで、飛鳥と同じですね。
私にとって一番うれしかったのは、新しい駅はトイレが広くきれいで洋式トイレが多いこと。近鉄奈良駅は駅構内にはトイレはないようで、駅ビルのトイレは古く狭く洋式トイレがひとつしかない。空いていれば車椅子用を使わせてもらっていましたが、文化遺産いっぱいで、外国人観光客も多いのに、こんなことでいいのかと義憤に駆られて?いたのですが・・・
駅の写真は帰りに撮りました。



藤 ノ 木 古 墳

駅前に2台待っていたタクシーに乗り込み、駅から法隆寺へは歩けば20分かかる距離だからそれほど遠慮しなくていいとは思ったけれど、地図で調べてあった近くの藤ノ木古墳に寄ってから、法隆寺の奥に当たる夢殿や中宮寺あたりで降ろしてほしいと頼みました。帰りにタクシーをつかまえやすい南大門に戻るかたちになるほうが足が楽かと思ったのです。確かにその点はよかったのですが、あとで、ほとんど初めてに等しいところでは拝観見学順路は大事だということを思い知らされることになりました。
今、古墳は整備中だから土色になっていますよと言われましたが、名前を知っているだけで、古墳自体については何の予備知識もありません。ただの林だとしても驚かなかったのですが、本当にまるはだか。
タクシーを降りたら目の前に面妖なものが・・・ 石室入り口は当然閉じられ屋根を掛けてある

古墳の南西下に、模造石棺と発掘についてふたつの石造説明版
小さいほうは
こちら、大きいほうはこちら、クリックすると拡大画が出ます
まったく盗掘に遭っていなくて、副葬品など金ぴかのまま出土したそうで、クツなどは斑鳩の展示館に、他は橿原考古学研究所が保存研究しているのだとか。さすがに有名観光地のタクシー運転手さんは詳しくて、藤ノ木古墳のことやら、法隆寺が創建当初の建物か再建されたものかについての論争など、何の知識もないおばちゃんに分かる程度に教えてくれました。本物の歴史好きさんや古墳めぐりの勉強家さんたちとなら、きっと盛り上がったことでしょう。



法 隆 寺 ・ 東 院

何も知らずに、地図だけを見て、中宮寺は法隆寺の隣のようだから、中宮寺を見てから法隆寺へと考えていましたが、タクシーから降ろされたところは、東院伽藍入り口という四脚門。ま、いいか。先に夢殿だと入っていきました。
そこで、全体の拝観券を持っていない人がほとんどいないこと、ここで東院だけの拝観料(200円)を払って、後で西院入り口でその分を引いてもらうと分かりました。
帰宅後に、なんと数年前までは、全体券を持っていない人は、東院だけ拝観したくても、西院まで行って全体の拝観料を払わなくちゃならなかったと分かりました。
くわばらくわばら。そんなことだったら、私のこの痛い足ではもうここへは戻れず、西院だけ見せてもらってがっかりして帰ったことでしょう。制度が変わってありがたいことです。

ページトップの夢殿は正しくは八角円堂という。別に派手な色もなく、特別小さくも大きくもなく、興福寺北円堂を見たあとだし、特別とは感じなかったのですが、興福寺北円堂は2度も焼失して再建を繰り返したのに対して、夢殿は創建以来たびたび修理を受けたが、再建されたものではなく奈良時代の創建時のものが残っているということが貴重であるらしい。昭和の解体修理で、鎌倉期に大改造になっていることが分かったけれど、創建時の姿に戻さず鎌倉期の姿のまま修理完成させ、今に至っているのだそうです。

八角堂とは故人をしのんで建てる仏堂だそうで、聖徳太子をしのんで、その姿を模して造られたという救世観音が厨子の中に安置され、春と秋に一般公開されるとか。厨子の両脇に法隆寺ゆかりのふたりの僧の坐像があって、それは見られます。
夢殿という名称と聖徳太子ゆかりの建物ということが、特別人気の元でしょう。
回廊 連子窓
上の地図で分かりますが、東院は真ん中に夢殿一棟だけあって、まわりをぐるっと回廊で囲まれています。南に礼堂、北に絵殿と舎利殿。この東院伽藍というのは、どこにいても気持ちのいい景色。柱、梁、屋根。殊にすばらしいのは連子窓。とてもいい感じに外が透けて見える。西院も同じだと後でわかりましたが、この小さい空間でこの気持ちのよさ。東院の大ファンになりました。
回廊   (東南角) 礼堂  (南)
礼堂横から北を見る、右は夢殿、奥は絵殿と回廊の北西角 絵殿に続く舎利殿と回廊の北東角
回廊の西南角から南を見ると
左に礼堂、遠くに南門、続いて東院大垣
夢殿の軒下、扉の金具が丸くて触ると掌に気持ちいい

夢殿の鬼瓦 絵殿の鬼瓦 礼堂の鬼瓦
回廊の北西隅の出口から外へ出ると大きな鐘楼がありました。袴腰付き鐘楼の最古の建物とか。私は鐘楼が好きだけど、大きくて立派で国宝というけど、誰も注意を払わない。他にいっぱい見るべきものが多くて、皆さん忙しいんだ。
鐘楼(国宝)
ここでは同じ字でも‘しゅろう’と呼ばれるらしい
伝法堂(国宝)の裏側、絵殿・舎利殿の北側の建物
聖武天皇の后、橘夫人の住居を移して大改築した
奈良期住宅唯一の遺構といわれる

伝法堂の北側に
中宮寺寺域だろうか、桧皮葺の門と建物
伝法堂北側広場の西にある門
手前についた屋根付きの柱が面白い
東院の中らしいのに、あちこちに‘中宮寺はあちら’の看板。中宮寺の門も脇からの見学者入り口もこの法隆寺東院の中に向いていました。中宮寺だけに行きたくても、四脚門から入らなくちゃならなかったのか。



中 宮 寺
内側に法奥山の額がかかった門から中を見る 左の庭に入りこの門をくぐって本堂へ
門をくぐるとまっすぐの道、突き当りの左に本堂 本堂の北側、裏に当たる
まわりを囲った築地塀
右の土塀の傷みがひどい、左は筋塀といわれ、
白い筋が5本あるのが最高格式だとか
左右で格式に差がありすぎ?
1968年に建設された新本堂に
弥勒菩薩半跏像(国宝)が安置されている
木造というが、その黒さが印象に残る上品な仏像
同じく国宝の天寿国繍帳が額に入れられているが
これは複製、複製でもその古さ貴重さが伝わる図柄


門の横に案内板があり、17世紀から皇室から門跡を迎えたとありました。
いかるが御所と呼ばれたとか。
門の瓦は全部菊の紋入り。なるほど。
京都の尼寺にも皇室から門跡を代々迎えたというお寺があったような・・・
法隆寺・西院へつづく