東 大 寺 2007年2月3日(土) 晴れ <春日大社からつづく>
手向山神社 若草山山麓を北へ進んでいくと、手向山神社(たむけやまじんじゃ)の石柱がありました。ここいら辺から東大寺境内になるようです。坂をそのままにして、森の中に建っている神社。こぎれいに整備されていない古都奈良らしい感じを受けます。
法華堂(三月堂)、四月堂など
法華堂(三月堂)では中を拝観しました。履物を脱いであがるので後で履くのが大変でしたが、中は絨毯状のものが敷いてあって、須弥壇に全部こちら向きに並べられた仏像を腰掛けてまん前から見ることができて、ゆっくり時間をかけて拝ませてもらいました。 上の写真が法華堂(三月堂)、右写真の真ん中が四月堂 法華堂は礼堂と正堂のふたつの建物をくっつけてできた珍しい造りだそうで、18体の仏像ののった須弥壇は正堂。拝観する場所は礼堂だったらしい。像はほとんどが天平時代のものとか。興福寺東金堂や新薬師寺の本尊以外の仏像たちが意外に小さくて、そんなものかと思いかけていたので、ここの仏像の大きさには圧倒されました。特に好きなのは、やはり金剛力士や持国天というような動きのある像です。 二 月 堂 このページトップの写真が二月堂。『お水取りがすむまでは、少しくらい暖かくても本当の春は来ない』と、関西では有名な3月14日の行事終了が待たれるのです。 こんな立派な大きな建物とは知りませんでした。節分の今日は2時に豆まきが行われたそうです。ここも夜には春日大社のように燈籠に灯が入れられるのでしょうか。軒下に形がいろいろ違う巨大な燈籠が下がっていて、びっくり。東大寺といえば大仏殿で、そこから奥には来たことがなかったのが悔やまれます。 舞台づくりのお堂の右側石段を登ります。ここも石灯籠が多く、二月堂と刻印された石灯籠が大分あって、それを撮っていたら、「その木はなんという木ですか。」と同年輩のご夫婦の奥さんから声をかけられました。いっぱい赤い実をつけた大きな木でした。写真の上の方の木です。幹に名前の札がついていると、その奥さん、モチノキはちょっと違うしと、階段横の溝をまたいで滑る石に足をかけて、危ないのにとても熱心。遠くは読めるので「多羅葉」「葉書の木」と確認して、以前、熊野古道でこの木の落ち葉に字を書いたことがあるなどと話して喜ばれました。 二月堂に上がってからまたお会いして、下のその木を見ながら、掃除をしていた人から、その木は雌雄があって少し離れたところにあるオスの木には実がならないとか、もう少ししたらこの実を食べにくる鳥がいるのだとか、いっぱい聞き込んで教えてくれました。 いいですねぇ。植物に目がないのですね。
大 仏 殿
大仏殿はまったくどでかくて、上から下りてきたら、1ヶ所しかない入り口がちょうど対角にあたる1番遠い位置。気はあせるけれど、1日中歩いたから股関節の痛みが気になってそう急げない。入るのは次にしようかなと思ったが、中は広いが見るものは少ない。がんばって入りました。 広い中庭?の広い参道にひとつだけ立っている大きな燈籠。 金銅八角燈籠というのが正式名称らしい。全体の形。細かい透かし地に浮き彫り。惚れ惚れします。 大仏殿が何度も焼き討ちにあいながら、ほとんど損なわれずに残ったものだそうです。
今日はよく歩きました。杖はありがたい。あまり痛いと思わずに、高畑町から春日大社、東大寺の奥のほうまで。南大門を出たら交通量の多い大通りで、バス停がありそうでしたが、近鉄の駅まで1.1キロ。すぐに来たタクシーに乗りました。タクシーに乗り込むときに、足が上がりません。やっぱり疲れていました。駅までの遠いこと。タクシーにしてよかったと心から思いました。 これからも、本当に歩けなくなるまで、杖、タクシー、使えるものは使って、行きたいところに行きます。そう思うと元気が湧いてきます。 東大寺の公式ホームページはこちら。 次回は、奈良の西のはずれ、西ノ京へ行きました。↓