大 和 路 散 歩


西ノ京のシンボル的風景
池の向こうに薬師寺金堂、西塔、東塔が望め、遠景は春日山


唐招提寺・御影堂

2007年6月4日(月) 晴れ 
前に唐招提寺に来たのは2月でした。閉鎖されていた御影堂を門から覗くと、色の少ない境内に紅梅の花が鮮やかに見えました。(その日の記事は
こちら)今日は、その梅が実をつけていて、この時期に来れるかどうか不確かだった体調が、まぁまぁで、来年なんてとんでもない、数週間後のことも確かとはいえない状態でもこうしてやって来れた幸せを噛みしめました。
御影堂門、中から きれいに箒目のついた小石の上を必死で走る小亀

広い御影堂敷地、南に庭園、右の建物が御影堂、庭の写真を撮っているここからでも肉眼では障壁画が見える
東山魁夷画伯と神戸は縁が深くて、大きな展覧会が開かれ、私も2回か3回か障壁画を見せてもらっていますが、本来の場所、ここで拝観するのは初めてです。 真ん中に鑑真和上坐像が安置され、その前の礼室が海、岩に砕ける波の画にぐるっと囲まれています。鑑真和上像の後ろには、ふるさと西湖の風景といわれる襖絵が見えています。建物全体が御影堂で、横の部屋は、山と雲、真後ろは黄山と、日本と中国の風景が交互に現れるようでした。ガラスなどにさえぎられず、庭を見ながら、暖かい空気、さわやかな風に触れながら直接拝観できるのがいいですね。
1年に1度公開されると分かっていても、私にはもう次は約束されていないから、これが最後かもしれないと、ゆっくりめぐらせてもらいました。


修理中の三仏
シャッターを半分閉めた仮屋が仏像修理所 金堂内陣にあった頃の三仏像の写真
シャッターより外に飾ってあったので許可を得て撮影
10年続くという金堂と三仏像の修理で、それらを直接見ることがいつもはできないのですが、今回は、御影堂公開に合わせて、それも期間を例年の3日間から9日間に延ばして、修理中の仏像も見せてもらえることになったのだそうです。
大きな仮屋の中にあっても、とてつもなく大きく見える三仏像。盧舎那仏坐像、薬師如来立像、千手観音立像。大きさもさりながら、本尊の盧舎那仏の光背に小さい仏像(化仏という)がもとは千体つけられていたとか、千手観音の手も、実際に千本造られたとか、びっくりの巨大仏たち。それは鑑真和上が説いた教えに従って具現化されているものらしいです。むずかしいことはさっぱり分かりません。



境内の建物あれこれ
正倉院よりも古いという経蔵
前は木の陰で遠かったので気合を入れて撮り直し
鐘楼

金堂の土台下も発掘 修理中の金堂
黄色の袈裟を着た数人の外国人のグループが鼓楼の前でお経を上げてお祈りしていました。失礼だと思って写真は撮らなかったけれど、白人数人と日本人かもしれない東アジア人も。どこかのお寺で個人を見かけたことはあったけれど、集団は初めてでした。



休ヶ丘八幡宮

薬師寺南門のすぐ南にある休ヶ丘八幡宮には、国宝の三神像があると本で見て、見てみたいものだと思っていましたが、奈良は市内も郊外も道がくねくね曲がって狭く、ひとつの寺のすぐ裏でも、延々と遠回りをしないと行けないことが結構あって、ここもそんな場所にあり、薬師寺の南門から一度出ると中へは戻れないと言われたので、今まで行けませんでした。
唐招提寺を出たところで、ちょうどお客を降ろしたばかりのタクシーに連れて行ってもらいました。元気なら歩いてもどうってことない距離だけど、今の私にはとんでもなく遠い。
この橋が入り口代わりのよう

東大寺の手向山八幡宮や
宇治平等院の宇治上神社同様
神仏混淆時代の薬師寺の鎮守社
休ヶ丘八幡宮社殿
3つの扉の奥に国宝の三神像があるのか・・・と思ったら
本物は東京の国立博物館に寄託
ここにあるのは模像だと、本にあった
教訓:よく読んでから出掛けるように
どちらにしても誰もいなくて拝観不能
両側に脇殿を従え、見るからに古めかしい 縁起についての説明板
クリックすると拡大画が出ます

待ってもらっていたタクシーに乗り、現代の西ノ京のシンボル、薬師寺のふたつの塔が春日山を背景に大和路らしい風景を見せてくれるスポットへ。時間はたっぷり余っていたけれど、足がいうことをききません。電車に乗ってまっすぐ家に帰りました。