大 和 路 歩 き

吉野山奥の千本

2011年4月21日(木) 晴れ
憧れの吉野山奥の千本に行きました。
ネットで情報を得ようとあれこれ検索しているうちに、あまりよくない感想意見ばかりで行く気がなくなってしまいましたが、自分で見てみないで勝手にがっかりして行くのを止めるのはよくないと家族に言われ、確かにそうだと初めの意気込みどおり、勇んで早起きして行ってきました。吉野に近づくと、山の中腹の桜が満開だったり、落葉樹の芽吹きが目にやさしかったり、来てよかったとうれしくなりました。
奥の千本からの大パノラマ
桜が途切れる画面真ん中むこうに蔵王堂が見えています
上の千本あたり
山桜の葉は赤くて、少し花が散っていてもグラデーションになってむしろ美しさが増す感じです


吉野町発行の観光地図より
地図をクリックすると大きい画像が別窓で出ます



西 行 庵


今日一番の目的は、奥の千本のまだ奥にあるという西行庵を訪ねること。
行く道は狭く急でぬかるんで危ないとどなたも書いていらっしゃるので、
道の最初をのぞくだけでもと思っていましたが、
確かにぬかるんではいましたが、最近整備されたのか、
それほどのことはなく、山道はこんなものでしょう。

靴についた泥で石が滑りやすく、特に下りが怖くて時間がかかりましたが、
ゆっくり一歩一歩気をつけて、通常20分のところ倍くらいかけて歩きました。
帰りの上り道は元気に上れましたよ。

写真は、最初の上り坂。よく滑る石畳、石段と手すりは下り専用です。
下りの人がいないときは手すりを使わせてもらいました。


奥の千本入り口すぐのところの標識と地蔵の祠
分岐にある道しるべ、西行庵へは右側の道 杉林の中の平らな道は歩きよい
ぬかるみの上り坂 左 西行庵へ  
ここから長い下りのどろんこ石段が続く


奥の千本に到着、下りはもうすぐ終わり やっと来たよぉ〜うれしい!!!
ほとんどつぼみの木々 西行庵の説明板
写真をクリックすると大きい画像が別窓で開きます
西行庵  とても新しく見える 西行像  
昔ここにあった像は吉野水分神社に移されているようです
西行庵のあたり
意外に開けた明るいところ

左は休憩用東屋

まわりの桜の開花はまだまだ 帰り道はのぼり坂、楽々だ


西行庵への最後の坂に多いスミレ よく見かけたアセビ
西行庵への入り口はミヤマカタバミの大群落のようだけど
杉の落ち葉に覆われて 顔を出しているのは少し



金峯神社と隠れ塔

奥の千本の入り口まで戻ると、すぐ横に金峯(きんぷ)神社があります。下にある金峯山寺蔵王堂の奥社という感じでしょうか。山上ヶ岳、もっとその奥まで続く修験行者の道ということで、もう少し行くと女人結界になるのでしょう。
奥に金峯神社 金峯神社と隠れ塔の説明板
写真をクリックすると大きな画像が別窓で開きます
金峯神社の横から隠れ塔に下りる 義経が静御前と一緒に隠れたと言われる塔(堂?)



吉野水分神社

奥の千本入り口からどんどん下りると、吉野水分(みくまり)神社に着きます。

案内板

写真をクリックすると別窓で大きな画像が開きます


鳥居と門

創祀年代は不詳とか。古くから知られた神社のようです。通称は子守明神。鳥居下の案内板によると、「子守」は、水配り→みくまり→みこもり→こもりへと変化して、子供の守護神、子授けの神として信仰されるようになったとか。
本来は、分水嶺に祀られた水の配分を神格化したもので、大和国四水分社の一つ。本社に祀られている玉依姫命の神像は国宝だそうです。もとは、象川上流に祀られて、元水分社跡があるようです。その辺りには、縄文中期から奈良時代頃に宮瀧遺跡があって、その後、現在地に遷座されたそうです。 現在の社殿建物は全て豊臣秀頼による再建。豊臣秀吉が祈願した結果、秀頼を得たことへのお礼だといいます。
門の内側に奈良でよく見る木目を生かした彫刻
大きいフクロウです
門を入るとすぐに中庭、左に広縁を持つ拝殿
右にある本殿は修理中で、大きな幕をかけられ見えません
西行法師像、ヒノキの一木造り
元は西行庵にあったのを移したとか


拝殿の広縁部分、跳ね上げ式の扉が上に上がっている
神輿 中庭のしだれ桜越しに拝殿と門を見る
由緒正しげな小さい社
後ろの幕の中は修理中の本殿
三殿を横につなげた珍しい建物らしい
見たかったなぁ


奈良に250ほどある万葉歌碑の一つで、
全部見ようと調べて歩いているという
熱心に写真を撮っている男性に教えてもらいました
門のすぐ外で分かりにくく、探しまわったそうです



この後、竹林院、如意輪寺に行きました→