イ ン ド   ちょっとだけ


3日目 3月 1日(月) 晴れ  ジャイプールへ

昨日と同じく午前中はバスで移動。早朝6時半ジャイプールへ向けて出発、昨日は道路が舗装されていて、ぶっ飛ばされてもそれほど揺れなかったけれど、今日は未舗装で段差があったり、穴が開いていたり。
初日に前の席に座ったので、今日は少し遠慮してうしろの方へ。ときどき天井に頭がつきそうな揺れがあってもなんとか車酔いもせずにすんで、やれやれ。
車窓からの景色はまさにインドの田園風景なわけで、はるか向こうの地平線まで続く広い平野。青い麦、色づいた麦、収穫している家族らしい人々。退屈〜と寝てしまった人たちはもったいない。飽かず外を眺めているうちに第1見学地に到着。



ファテープル スィークリー
アーグラー郊外、ファテープル スィークリー見学。
パンチ マハル(五層閣)という五層の建物を持つ立派なアクバル帝建造のお城だけれど、デリーから遷都して使ったのはたった14年間だったそうです。
夏暑く冬寒いのと、決定的だったのが水不足とか。お城のそばの町も廃墟になっていました。この地方はあまり雨が降らず、稲の生育に不向きで、麦やジャガイモが多いのだそうです。
建物はアーグラー城と同じく、イスラムとヒンドゥ、仏教などの多宗教を融合させようとした皇帝の考えに基づいて作られていることがわかります。真ん中の梁に通した大きな柱はまるで木造建築のようですが、梁も柱も装飾も全部赤砂岩でできています。
左は王妃のベッド。一辺が3メートル近くあろうかという正方形の大きな高床式ベッド。高さも2メートル近く、ガイドさんの言うには、日本はさそりや蛇に襲われることがないから畳で寝ていられるが、この辺は危険で床に直には寝られないということです。
右は外の柱に施されたみごとなブドウの浮き彫り。
中庭はきれいに芝が敷き詰められ、花壇には南国の花が咲き誇っています。水のない地域とは思えません。今は、水問題はどのように解決しているのでしょう。
尖状アーチのくぼみの中にアーチの繰り返しがあるのがタージマハルと違います。
右のトイレは200年前の王妃たちのトイレだそうです。今も現役で使用。白いタイルが清潔な感じです。水不足の当時、水洗式として使われたのでしょうか。




車窓からの風景


車窓から何度もクジャクのような鳥の姿を見かけました。山の中でも原野でもない普通の田園や、道路のそばの並木で、2羽というのが多かったけれど、10羽くらいの群れも。バスの中ではほとんど反応がないけれど、全体にブルーの羽。頭にきれいな冠羽。そばにいつも地味なメスらしい茶色っぽい鳥。似てるだけかなぁ。
通路を挟んで向こうに座っている英語塾の先生という女性だけが、どこどこと乗り出してこちらの窓から見るけれど、バスは速いし、遠くにいるわけじゃないので、すぐに見えなくなるし。
私ひとり大声出して、どうも見間違いと思われたみたい・・・ちょっと無念。

このあたりの木の幹に切込みがあって数字が書いてありました。最初数字に見えなくて、‘12’の‘1’が何かの虫に、右の‘2’が蛇に見えたのです。
ここに来る前に町の辻のようなところで、バスの窓からみかんを買う人が多く、おいしいおいしいと召し上がっていました。多分そのせいでしょう。自然の欲求がおこって田園の中でバスを止め、ふたりバスを降りられました。

戻ってきた人に、この木に描いてある虫と蛇のことを話すと、降りる前に聞かなくてよかったと、胸なでおろされました。でも他の人から、あれはただの数字だと言われ、私の信頼度が落ちてしまったのでしょうね。

白い牛が道端にいるのを町でも田舎でも見ました。
ヒンドゥの神様だそうですが、背中のこぶと痩せているのが目立ちました。牛たちも心得ているのか、よく聞くように道の真ん中にいるのなんか見たことありません。
田舎では、紐をつけられて木に結わえられている牛もいました。家畜として飼われているようにも見えましたが、神様をそんなことしないでしょう。
いまひとつ、牛の立場と扱いが分かりませんでした。

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