イ ン ド   ちょっとだけ


4日目  3月 2日(火) 晴れ   インド最後の日

今日は、デリーに戻って市内観光です。
3日間毎日午前中はバス移動。飛行機が速いだろうと思うけれど、インドの飛行機は飛ばないこともあったりして、時間きちきちの日本のツアーにはあわないのでしょう。鉄道の旅についてはよく聞くけれど、やはり時間が合わないのかなぁ。
そこで、プープー警笛鳴らしっぱなしで、ぶっ飛ばすバスのお世話になって、予定通りのスケジュールをこなしていけてるわけでしょう。
バスで隣り合わせたMuさんと旅の楽しみと意義について、老後に向けての生き方について、カンカンガクガク、盛り上がったというべきじゃないのでしょう。愛情豊かなロマンチストに冷厳冷酷な現実を知るべきなどと、知った風なことを言って、胃が痛くなった、と言わしめ反省することに。調子に乗りすぎました。

クトゥーブ ミナール
《大きい写真》

インドで1番古いイスラムのミナール(塔)、奴隷王朝のスルタンがヒンドゥー教徒にイスラムの勝利を誇示するために建てたのだとか。
1層目は曲面とぎざぎざの角を交互に配した縦溝模様が珍しく、2層目は曲面の繰り返しの縦溝。どっしりしていて繊細で、その美しさはイスラム形式だけのものではないそうです。

以前は中の螺旋階段379段をぐるぐる上っていけたそうですが、小学生が折り重なって落ちて何十人も死亡して以来、上れなくなったそうです。入り口あたりが修理中で近寄れませんでした。

この高い塔は、現在5層、72.5メートルだけれど、もともと7層あって100メートルの高さがあったのだとか。その後何度も地震で上部が取れて、修理を繰り返して、今の姿になっているとか。

まわりには崩れた門や建物、クトゥーブ ミナールと対になるはずの、建てかけですっかり赤砂岩が日差しや風雨で浸食され原形をとどめていない塔が放置された姿などが目につきます。



ラージガート

ラージ ガートは、独立の父マハトマー ガンディーが火葬された場所で、そのすぐ横がお墓だそうです。
理由は言わなかったけれど、バスデブさんは、私たちを火葬場から少し離れた展望所のようなところに案内して説明してくれました。察するに、現代インド人にとって最大の偉人で大切な人の火葬場に直接外国人観光客を連れて行きたくはないのでしょう。
上から見せてもらうだけでも申し訳ないように感じました。その場所にはインド人と見える人たちばかりが集まって祈っているようでした。ラージ ガートのあるところが広い公園になって、インドの人たちが誰でも憩い、偉大な先人を偲び悼むようになっているのに感動しました。


車窓から見ただけのインド門は、一見勝利の凱旋門のように見えましたが、第1次世界大戦でイギリス軍の一部として参戦した13500人の戦死者の名前が刻んである慰霊碑だそうです。




この日はイスラムのお祭りの日だそうで、ラージ ガートに行く道で、バスの前の方に金色の山車のようなものと銀色の丸いものがゆっくり進んでいて、通り抜けようとする車が渋滞。インドはヒンドゥ教と思っていたけれど、人口が多い分、少数派宗教も結構派手にお祭りしているようです。

インドの女性、見たまま
あまり女性は外を出歩かないようだと見ていましたが、さすがにデリーは大都会。大勢の女性が歩いていました。
特に今日はイスラムのお祭りということもあるからでしょう、老いも若きもきれいな色とりどりのサリーを身につけ、頭にもサリーによくあった色模様の長いスカーフ状のものをかぶっていました。
どこでも女性が普段でも伝統の衣類を身につけることが多いのは、意識と衣装が切り離せないからでしょう。日本でも神主さんやお坊さんの宗教関係者や、もちろん舞踊や茶道華道のプロなど。創始者が始めた頃の衣装を引き継ぐことが、形として伝統を守ることになるのでしょう。
女性の場合は、男尊女卑の風潮が強いところほどその傾向があるように思えます。新しい女性というのは、社会や多くの男性にとって自己主張が強かったり、犠牲に甘んじないなど、望ましくないでしょうから。
意識は先ずその外観によって主張されることが多いですからねぇ。
インドでは、私がたった3日間見ただけの少しの経験ですが、本当に若い、十代くらいの都会の女性は、ジーンズ姿の人もいましたが、それでも上はパンジャビー ドレスというのか、ゆったりした衣服を羽織っていました。
インドでいつか普段着にTシャツとジーンズだけで闊歩する女性が多くなる時が来るでしょうか。
それでも、豊かなわき腹を見せてさっそうと歩くインド女性は素敵です。伝統のサリーは色鮮やかで、相当のおばあさんに見える人も決して地味ではありません。足もとがゴムぞうりだったり、時に裸足のままだったり、きれいなサリーとミスマッチに見えますが、足もとまでの豊かさはもう少しというところでしょうか。




フマユーン廟


インド最後の観光は、フマユーン廟。
ムガール王朝の第2代皇帝フマユーン帝の后が夫の墓として建造したもので、赤砂岩と白大理石でできています。タージ マハルのモデルになったことで有名です。
門から見た風景も庭や水路のある庭も本当に似ています。大きな違いは、色合いとタージ マハルにはある4隅のミナール(塔)がここにはないことでしょう。
また、タージ マハルは、ムムターズ マハルとその夫であり、タージマハルの建造者であるシャー ジャハンの棺があるだけですが、フマユーン廟には、フマユーン帝とその后、そして霊廟の土台に、ムガール王朝の大勢の王子たちの墓があるのだそうです。

夜、11時過ぎにデリー空港からインド航空に乗り、たった5日間、正味3日間のインドの旅を終え、帰途に着きました。

   
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