イ ン ド ネ シ ア

2012年2月24日(金) 晴れ 
  3日目午前  ジャワ島観光
朝7時発のバリ発ジョグジャカルタ行きの飛行機に乗るために、4:30モーニングコール。といってもぐずの私はその1時間前に起きました。5:00荷物出し。朝はお弁当。
5:30にホテルを出て空港へ。インドネシアでは、州ごとに観光ガイドは現地の人を使うことになっているのか、
また最終日にバリに戻るまでバリでお世話になったガイドさんとは一旦別れ、朝の光を浴びて飛行機は飛び立ちました。
隣のかわいい飛行機はアジア航空らしい。

1時間ちょっとで着くはずなのに、なかなか着きません。機長らしき人の放送はありますが、さっぱり分からず、隣の窓際の人の、同じところを3度も回っているというのを聞くと、何があったのか気になります。一度スラバヤで下りて天候の回復を待ち、結局2時間おくれで9時過ぎにジョグジャカルタに着きました。悪天候という感じじゃなく、下の景色は見えていたというけれど、どうなんでしょうね。
バリとジャワの時差は1時間。西にあるジャワは日本から2時間おくれになります。


ジョグジャカルタ市内

2時間遅れたために見学順が入れ替わりました。私たちの期待していたボロブドゥールが夕方になって、後の予定だった王宮が一番になりました。早くに閉めるようです。夕方すごいスコールに見舞われることになり、大変残念でした。
ジョグジャカルタは特別州の大都市で、人口は350万人、町には30万人だとか。バイクの多いことに驚きます。二人乗りは当たり前。前と後ろに子供を乗せる人もいるそうで、自動車は高いからバイクに乗るのだそうです。自動車を買うくらいなら家を建てるとガイドさんは言っていました。
大学が多く、学生が多い。ガイドさんは専門学校の日本語科で学んだそうです。
時々冗談を交えながらいくらか分かりやすい日本語で、場所について、歴史について、熱心に案内してくれました。



スルタンの住む王宮

日本が敗戦を迎えたときに、インドネシアは独立を宣言しましたが、オランダが認めず独立戦争が起こり、ジョグジャカルタ第9代王、ハメンクブウォノは一貫して独立主義側を応援したそうで、民主制をしいた後もスルタンとして残っているそうです。そういう経緯からも民衆はスルタンを今も敬っていると書いてあるものが多いようですが、ガイドさんは、植民地支配に押された偽の王様だと言っていました。当時の独立派スカルノ一派に反対の立場なのでしょうか。
第10代王の現スルタンは、州知事でもあり、実際の政治に関わっているのだそうです。スルタンにはイスラムの先生という意味もあるとか。ガイドさんは、「私はまじめじゃないイスラムです。」と言っていましたが、ジャワ島は今どんどん人口が増えているそうで、それはほとんどイスラムだそうです。
バリのウブド王宮に比べてとても広い
3分の1だけ公開しているらしい


魔除けのカーラの前で
中のふたりはスルタンを護る兵士(今はボランティア)で
腰には剣を差し、制服を着ている
来客と会う応接間のような建物 女性が歌っているように見えたが、祈りか
涼しそうです、インドネシアは王宮だけじゃなく、庶民の家も目的別に別々の建物を建てるそうで、普通4棟あるらしい
儀式用の建物
ガムランという伝統音楽に使う打楽器ゴング、青銅製が一番、音、色、形が美しいとされるとか
ガイドさんは、こちらは男性用と説明していました
鉄製ゴング、女性用 人が座るのではなく、物を置く台らしい
右奥に少し見えているのは王の乗る輿 入り口前のこれも魔除け?
目的別の建物がつながっていたり、少し離れていたり
イスラムでは酒と豚肉が禁じられている筈だけど
外国の賓客用に酒蔵があったり、食事用の部屋(建物)があったり、時間がくれば王自身が歩いていることが多いとか
出口の壁に飾られた蛇の交接彫刻は、多産と永遠の生命力を現しているものとか


地下道跡と展望台跡

王と家族が移動するための地下道だったようです。バス移動だったのであまりよくはわかりませんが、かなり広い領域が今も王宮の土地となっているようで、長い塀が続いています。
地下道の入り口
地下道へ下りていくとスーと汗が引く涼しさ、立ち止まって見上げている先には王が祈りをささげる場所がある


展望台、廃墟然とした様子
一番高く上がれたところからの景色


手すりも壁もない石段を上り下り、ちょっと恐い
地下道の上に一列に並ぶ明かりとりの建物
横は庶民の住居、宮殿の使用人たちか
世界共通、おばちゃんたちのうれしそうな声、「かわい〜い」に
若いお母さん、にっこり

水 の 宮 殿

いわゆる後宮というのでしょう。王、王妃や側室が入るプールが3面あります。インドの宮殿ホテルでよく似たプールを見たことがありますが、こちらは王宮とは離れているから、わざわざその日のお相手を見て選ぶための塔があります。
立派な出入り口、私たちはここから出ました 狭い部屋にベッドひとつ
王が見下ろす3階建ての塔


バティック工房

昔、私たちはジャワ更紗と呼びましたが、今は現地風にバティックと言うのが一般的のようです。非常に手の込んだ、面倒な作業を一日中、毎日毎日続けている女性たち。今は、手のかかる手染めだけじゃなく、型押しもあるとか。木で作った型はそれなりに熟練しないと連続柄にならないそうで、以前その仕事をして働いたことがあると言うガイドさんは、手馴れた感じで生地に触っていましたが・・・

ロウをおいた部分は染まらず、熱湯でロウを溶かす作業
多色染めの場合、この作業を何度も繰り返すとか



後に免税店などで見たバティックは大変手の込んだ美しいものが多く、マネキンにただ包んだだけのように着せてあるのが素敵で、買いたくなってしまいましたが、どこで着るねんと自分につっこんで出そうになる手を引っ込めました。私はハンカチとスカーフだけ買いましたが、男性たちは結構シャツを買っていました。上品な色合いで赤いのも茶色のもよく似合って見えました。