九 寨 溝 ・ 黄 龍
重慶〜九黄へ、飛行機で

2日目 2006年7月13日(木) 晴れ

5時起床。のろまだから勝手にいつも早めに起きるだけで、出発は8:15am。
朝食はホテル内のレストランでバイキング式。お腹がパンパンに膨らんですいた気がしないし、おかゆにしました。白粥と粟粥が並んでいます。この頃はまだそれでも好奇心の方が勝っていたんだなぁ。粟粥をよそって席へ。粟がそれほど甘いと思えないから多分砂糖を加えている。甘い。食べにくい。
2杯目は白粥に。これまた、2分粥というか、重湯の中にお米がちらほらという感じ。これでは今日1日もたないと、入り口のところでおじさんが焼いていたオムレツの列に加わって、中身はねぎとチーズとトマトだけに。クロワッサンとチーズは半分残してしまいました。

重慶空港から2004年10月にオープンしたという九黄(九寨溝・黄龍)空港へ約1時間。この飛行機で酔いました。続けてバスに乗ることが分かっていたので、1日効力あるはずの酔い止め薬をまた飲みました。
気分悪くオ○ッコ出ないのに、バスに乗って1時間ほどでトイレ休憩じゃないところで、ガイドさんが酸素ボンベを買いに寄った店でひとりトイレに飛び込んだり。この頃から顔色悪く、中には吐いているお仲間が増えました。写真は機内で出た手拭きとおつまみです。
九黄空港ビル 重慶から乗ってきた中国国際航空公司機

カメラ入りリュックがポチャン!牟尼溝散策

九黄空港のある場所は、九寨溝に90キロ、黄龍に45キロの位置にあり、高度3500メートル。明日からの九寨溝散策前に、最近人気の牟尼溝散策と聞きました。当然高度順化を考えて低いところへいくと思うではありませんか。バスは最初少し下がっていきました。まわりの段々畑らしい景色が珍しく車窓を楽しんだ後、開けた集落のレストランで昼食。
その後3400メートルくらいのところから散策と言うより登山です。




溝というのは谷のことのようで、川沿いの道はとても歩きやすく整備されていて桟道と書いてある木道もあり、私たちのグループ以外に人もいなくて、気分はいいはずなのに、苦しい。しんどい。吐きそう。足が進まない。これぞ恐れていた高山病であるか、とあわてず騒がず、さっき2本も買い込んだ酸素ボンベの1本(50元)をセットして、シュッシュッ。


吸い口をぴったりくっつけず、1センチほど離して空気と一緒に吸い込むのがコツと、ネットで調べてあります。
旅行前の説明会で、中国人男性スタッフの話では、人間のからだは怠けたがり屋だから、一度酸素を吸って楽すると、すぐにまた吸いたくなる。それでは高山病はよくならない。すこし我慢して慣れるくらいがちょうどいい。ということだったので、ときどき吸って、エンヤコラと階段を上る。ときどきはミネラルウォーターを飲み、あめをなめ、がんばって上る。
こりゃもうだめだと思った頃、上から下りて来た男性が、てっぺんの滝まで行かなくても、川の途中に渡してある木道が向こう岸につながっているから、そこでしばらく待って、上から下りてくる人たちと合流すればいいと教えてくれました。途中でリタイアした人もいたようでしたが、私より後を歩いていた人はそうしたようでした。

あーぁ、やれやれ。川のまん中に広場のような場所が作ってあって、東屋まであります。
奥のベンチに腰掛けて、首にかけて苦しかったカメラをリュックにしまい、ベンチに置きました。ポケットに入れてあった小さい方のカメラで目の前の滝を座ったまま写したとき、そばの人が、「あーっ!」 と叫びました。

横に置いたリュックのすわりが悪くて後の川に落ちてしまったのです。
ベンチの背もたれは腰掛より30センチほど上に5センチ幅の板が渡してあるだけなのに、どっこいしょと座った自分と同じように無造作にリュックをのせてしまいました。
小さい滝の連なっているような流れの中をゴロンゴロンと転がったリュックは、ちょっと草が生えているところでゆらゆらしてはいるけれど止まりました。靴の替えはありませんから脱いで、靴下はだしで川に入ろうとしたとき、私の杖を持ってきて伸ばしてくださった方がいました。杖で引き上げられる距離ではなかったですが、杖をついて足が滑らず、ゆらゆら危うかったリュックを拾い上げることができました。

靴を履かずに濡れたソックスとズボンで山を下りる私に、足を拭いて靴を履いたらどうかとご親切に心配してくださる方もいましたが、ソックスなしではブカブカで却って靴ずれになるし、整備された道は小石もなくて、ウールソックスは丈夫です。宿に帰るまでソックスで過ごしましたが、全然不都合はありませんでした。

バスに乗って見たら、足先に大きなひっつき虫がついているのに、別に痛くもなくて気がつかなかったくらいでした。
リュックを拾い上げた後、杖を伸ばしてくださった方が、ご自分の乾いたタオルで、中のカメラを拭いて、壊れていないかと心配してくれました。

そんなに濡れたようにも見えなかったけれど、落ちて転がったし、動きません。濡れていない予備のバッテリーを入れてみてもだめでした。
しばらくうんともすんともいわなかったのですが、2日後に、「レンズカバーをはずして⇒を押せ」 というメッセージが出て、カバーははずしてあるのだから像を結べないのだと分かりました。SDカードの画像は全部無事でした。ホッ・・・。
道端の花が日本の花とは少し違うようで、酸素吸いつつ花も撮りましたよぉ。ブレブレですけど・・・花のページはこちら


旅行中はその状態で、帰国後修理に出さなくちゃと気になりながら、バタバタして、今、確かめてみたら、なんとなんと!完璧に動きます。4万円もしなかったデジカメ。コンパクトカメラと言うには少し大きげに見えるパナソニック・ルミックスDMC-FZ5。わぁ〜、何と賢い!何と健気!うれしいねぇ。ありがたい。大事に使わなくちゃ。
以後、写真はほとんど、小さいほうのカメラ、同じパナソニックのルミックスDMC-FX8で撮ることになりました。もうひとつは、電子機器だめの飛行機の中で使うように関空で買った“写ルンです”。デジカメを持つようになってから、旅では必ずカメラを2台用意します。まさか川に落とすとは思いませんでしたが、何か不具合が起こったときに、世界の田舎を歩く旅で、簡単にカメラを手に入れられるとは思いません。写真がない旅は悲しすぎます。


チベット族、チャン族の村
車窓から見えるチベット族の人たちの家屋敷
家のまわりに積み上げた沢山の薪が、冬の寒さをしのばせる。
よく見かけたのぼりはチベット仏教にちなんだものであり、
生活の中心に仏教があるようだ。穴のあいた板を円錐形に立てているのもそうだろうか。
どの家にも大きなパラボラアンテナがあって、
自給自足の生活と言うけれど、最新文明は享受しているようだ
九寨溝の入り口近くのホテルに向かう途中、運がよければ、チベット族の家庭訪問が可能だと言われていました。どういうこと?あらかじめお願いしておけないということ?しばらく後に事情が分かりました。
道を歩いているえび茶色の衣を着た人が見えたとき、ガイドの唐さんが降りて話しかけました。チベット族の中では、お坊さんの地位が一番高く、お坊さんにお願いして家の中を見せていただくのだと言って、えび茶の衣の人に近くの大きな家に案内されました。お坊さんとその家の人は別に身内でもなんでもなく、 「見せてやってください。」 「はい。」 という感じでした。
1階は石造りの立派な家、やはり大きなパラボナアンテナ
1階入ったところは家畜部屋、昼でも真っ暗
あてずっぽうに柵越しにストロボたいて、
すぐ下に豚がいるのが分かりました
多分豚のえさ
若いお母さんが赤ちゃんをおんぶ、
2階階段の上、彼女の趣味のコーナーらしい
お礼の気持ちに飴玉でもと唐さんに言われて
あめとこんなこともあるかと関空で買った赤鬼型の鈴を
女の子ならもっとかわいいのにすればよかったかな
2階ベランダ横の日当たりのいい部屋が寝室のよう
2階ベランダから下を見たら畑と薪が見える 隣家も大きく立派
四川省は少数民族が多いと言います。この辺にはチベット族とチャン族とか。現在のチベット本国の人たちとは別の民族らしく、数千年前北方から移動してきた古代チャン族のうち、唐代にチベットに勃興した「吐蕃」に攻められ、チベット仏教を受け入れチベット化した人たちを、現中国になってからチベット族と呼ぶことになったらしい。
今では、だんだん漢民族化してきているそうです。チャン族は独自の言葉をもつけれど、文字がなくて、チャン族の集落が違うと言葉は通じないが、今では標準語(北京語をもとにしている)を使って不自由ないのだとか。ヤクやヤギを放牧して、農作業から食料にまで使うそうです。
車窓から見えるこのあたりに多い風景 お祭りだろうか、華やかなテントが並ぶ


夕食レストランとホテルシェラトン九寨溝

レストランが変わっても、辛い、あぶらっぽい、気分が悪い。このときは、体調のひどく悪い人が他にもふたりおられて、料理のにおいをかぐだけで気分が悪いからと、1階のロビーのようなところで何も食べずに横になっておられました。

私は外に出ていようと思ったのですが、トイレに行った後少し気分が収まったので、2階の食事会場でおかゆを少し食べました。
私たちのグループではないほうの若い添乗員さんが、ソファで横になったらと勧めたそうで、スイカをお皿に入れて勧めていました。
ベテランの私たちのほうの添乗さんだって悪い人ではないし、私がトイレで最後まで残ってもどしているのを他の人から聞いたのでしょう。外で待っていてくれました。だけどそれ以上の気配りとやさしさは性格の問題だからなぁと感じました。


ホテルはシェラトン九寨溝。五つ星。だけどここは中国。あまり期待しすぎないように。
昨夜重慶でなかなかスーツケースが部屋に届かなくて困ったので、今日はほとんどの人が自分でスーツケースを押して行きました。このホテルは偶数番号の部屋の棟と奇数番号の棟が離れていて、35の隣は37という具合。数字が隣でも実際の部屋は遠く離れていて、最初はわけが分かりません。

スーツケースを絨毯にとられ滑らないのを力任せに押したり引いたり、あっちの棟、こっちの棟と大汗かいて3号館5階の自室に到着。くたびれたけれど着いたらすぐ、洗濯に取り掛かります。何しろ川に落ちたリュックと中に入っていたものを洗わなければなりません。衣類の替えはありますが、リュックの替えはないので今夜中に乾いてもらわなくちゃ。

ホテルのあるここ九寨溝の入り口は標高2000メートルとか。高山病がひどくはなっていないけれど、朝飛行機に酔ってしまって以来、どうにも気分は悪く頭痛も吐き気も治りません。牟尼溝は後にして、先にここへ来てくれればこんなに体調崩さなかったのにと思いましたが、添乗員さんが日本で言っていた説明を思い出します。中国観光は、大きくは旅行社の企画で進むけれど、現地のことは全部現地旅行社次第なので、ご了解ください、って。


牟尼溝は、ミニ九寨溝の感じだけれど、写真で見る九寨溝は、すばらしく美しい。きっと本物の九寨溝の後では牟尼溝散策というわけにいかないのでしょう。ならば、牟尼溝散策はなくてもよかったよぉ。
現地ガイドはこの程度の標高はなんでもないのか、まったく高山病対策の話はありません。高齢者集団ということも考えてもらえたらよかったんだけど。
でも、確かに元気な人は元気です。しっかり食べてしっかりビールも飲んで。仕方ないのか。弱い自分を恨めということね。




1日目関空〜広州〜重慶へ 3日目九寨溝散策