12日目 3月20日(木) 晴れ
アマゾンの朝

今日も5時起き。夕べはすることもなく、寒くて震えながらベッドで眠るのみ。それでも案外眠れたようで、目覚ましの音で起きました。昨日からのおなかの調子の悪いのはまだ本調子じゃないから、今日1日食べ物飲み物には気をつけて、消化のいいものだけにしなくては。
早朝からアマゾンの人々は何か仕事をしています。岸辺まで降りてくる人をよく見かけました。太陽とともに起き、太陽が沈むとともに寝る暮らしをしているのでしょう。
イキトスから再び、大きく蛇行するアマゾン源流や、白いアンデスの峰々を越えて、お昼前にリマに到着。午後はお天気が悪くて飛行機が飛ばないことが多いという説明で、それもあるだろうけれど、ペルー時間と言われるルーズさもあるのでは?どちらにしても確かに朝イチなら大丈夫のようです。
日本人女性早内さんのお店“ポコ・ア・ポコ”(1歩ずつ)でアルパカセーターと他に小物を少し買物。素敵な大きい布袋に入れてくれました。帰国後に買い物袋として使うのに便利そう。

リマの旧日本大使公邸跡
前回の市内観光の時に、ミニバスの運転手さんがちょっと遅刻して、そのお詫びといって、1996年12月、トゥパクアマルなる山岳ゲリラ組織に、パーティ参加者全員が監禁占拠された前日本大使公邸跡を見せに連れて行ってくれました。静かな高級住宅街のなか、正門あとの門扉にも、近くのビル上部にも生々しい弾痕が残って、今も厳重な警戒。バスを近くに止めることは禁止されていて、バスの窓からちらと眺めるだけです。
当時、ガイドの具志堅さんは、留守中の上司の代わりに、現地レポーターとしては最初に生レポートしたことを、ユーモラスに話してくれました。現場に行けという指示に、行けません、怖いといってどやされたとか、最初、現地邦人と紹介されたのが、現地カメラマン、その後、現地ジャーナリストとだんだん格上げされていったとか。ちょっとは親孝行になったかなと、はるか地球の反対側に来ていることを親不孝と思っておられる気持ちをのぞかせました。

明日からの高地行きに向けて

リマに帰っての第1食は沖縄出身の人が経営する有名な焼き鳥屋さんで。ガラスをふんだんに使った明るいレストラン。豊富ないわしを飼料に飼った鶏を独特の秘伝の味付けで焼いて、おいしいと評判の店だそうです。鶏ならとすこし食べてみました。味とやわらかさはいいのですが量が多すぎます。量の多いのはここに限りませんが・・・
そばの滝のような仕掛けの上で、ハトが3羽、恋のバトルを繰り広げていました。何とか鶏肉も食べられたし、外は晴れて気持ちがいい。やっと体調がよくなってきたらしいぞ。

前回の宿泊の時にお湯が出なくて困ったのですが、ガイドさんと添乗氏ががんばってホテルに抗議してくれたのでしょう。支配人ではないでしょうが、責任者といった感じの女性が、みんなが集まっているところへやってきて、果物を置いたが、それだけでいいとは思っていないと、正式に謝罪。そして部屋が8階から16階へ大出世。表通りに面し、額やベッド、椅子にオットマン。トイレ、浴槽も上等。身の丈にあったいつもの暮らしからは程遠いけれど、外国だし、気後れせずにゆったりくつろぎました。

夕食は日本食。おすしはよかったのですが、あまり新鮮に見えないにぎりの魚が、見た目でおなかにもひびいてしまったのかも知れません。ペヘレというキスに煮た魚の話など楽しんだけれど、ようやく治ったかと思ったのに、以後またずっとお腹の調子が悪くなりました。

明日もまた朝早い。3時起きです。旅の最後にまたこのホテルに帰ってくるので・・・泊まりませんが、深夜発の飛行機の時間まで休ませてもらいます・・・必要ないものを、かばんに入れてここで預かってもらうことになりました。
夜9:00にまだ開いていたホテル地下のみやげもの屋でナスカの地上絵模様の民芸調肩掛けかばんを買ってそれに詰めました。
イグアスの滝もナスカの地上絵も見ました。アマゾンでピラニアつりもしました。
いよいよ明日からは、アンデスだぁ!!!