南米21日間の旅
16日目 3月24日(月) 晴れ 日差しがとても強く、暑い
クスコ近郊のインカ遺跡、サクサイワマン

クスコ2日目。何故かガイド交代。梶谷氏から日系3世フィリッペ氏へ。母方のおじいさんが1世、父は現地の人と自己紹介。現地の人らしい厳しい眼光と表情。みんながそばに集まるまで、いらいらしながら待っている様子がちょっと怖い感じでしたが、クスコ郊外の遺跡、サクサイワマン、ケンコー、タンボ・マチャイ、熱心に説明してくれました。マチュピチュで元気のなかったHiさんが俄然活き活き。今までのガイドのうちで1番いいと言って、説明の合間に、我が意を得たりと、日本のというより中国のでしょうが、風水のことなど熱心に語って、やっと話が通じる人に会えたという感じです。

サクサイワマンは、クスコの東北、町が一望できる丘にあり、町全体がピューマの形をしているクスコの頭の部分にあたります。宗教的意味合いと、見張り番的意味合いもあったようです。インカの話をするとき、よく天のコンドル、地のピューマ、地下の蛇といわれることとも関連するのだとか。インカが侵略者スペインに反逆するためにここに陣取って抵抗した要塞だったとも言われます。インカ軍は敗北。巨石の城砦も、上にそびえていた建物も破壊されてしまったそうです。

今は下のほうの石組みがそれでもびくともせずに残っています。不思議なジグザグに組まれた石組みは、稲妻を表しているそうです。90度に折れた角が、全部別の石で積まれているのでなく、ひとつの石を削ってできているところが何箇所かあり、強度のためかどうか。美的感覚のためならずいぶん面倒で大変なことをしたものだという気がします。そのすばらしい技術とおそらくは宗教的な感覚と、どんな人々だったのか、とても興味をひかれます。

オリヤンタイタンボでも、マチュピチュでも、ガイド梶谷氏は、石の凹みや出っ張りの意味は分かっていないと言っていました。フィリッペ氏は、運んだり上に積み上げたりするのにテコの原理を使ったからだと説明します。合理的な説だと思いますが、梶谷氏は、そんなことなら出っ張りを残しておく必要はない。石は磨いて完成しているのだから、最後はまっ平らに磨いたはずだという説明でした。文字を持たない文明の解明は難しいということでしょう。
4000メートル級の山々に囲まれた盆地にある
クスコの街が見えます

遺跡、ケンコー

すぐ近くにあるケンコーは、大きなひとつの岩に、上はピューマが彫られ、冬至の朝に両眼に日が当たるとか。日時計の役割をしていたといいます。下は空洞になっていて、長椅子のような形の手術台だっただろうという石や、王が座ったという玉座のような石もあります。いずれにせよ、ここも宗教的な意味合いの強い場所だったようです。

 
遺跡、タンボマチャイ

聖なる泉といわれるタンボ・マチャイは、今も一定量の水が流れていて、どこから引いているのか分かっていないそうです。インカの遺跡にはこんな水飲み場か沐浴場がよく残っているようです。飲み水だけならこんな立派な石組みの施設は必要ありませんから、やはりこれも祭礼の場だったのでしょう。

昼食は郊外の民芸調レストランで食べました。それほど広くない場所に、ちょっと派手目の元気な東洋人が次々入ってきます。大阪からかと思ったら、韓国だそうで、極東からこんな遠くにこんなに大勢がやって来ているのだと自分も一員だけれど、今更ながらびっくりしてしまいました。世界中の観光地に日本人も韓国人も行っているのでしょうね。ペルーは、今人気なのでしょう。
遺跡の近くに多い道端民芸店 クスコから山へ段々に上っていく住宅

  
略奪と破壊の歴史跡、インカの首都クスコ

午後はクスコ市内の中心に戻り、サント・ドミンゴ教会、12角の石のある通り、アルマス広場などを見て歩きました。
サント・ドミンゴ教会は、もともとインカの太陽の神殿があったところで、表向きキリスト教布教を旗印にやってきたスペイン人は、黄金の飾りでいっぱいだった神殿から、黄金を全部とって、建物上部は壊し、スペイン式キリスト教教会に建て替えたのだそうです。その後地震でスペイン人の建てた部分は崩れ落ちましたが、インカの石組み部分はびくともせず残ったそうです。
表からは見えませんが、中は発掘で現れたインカの遺跡がきれいに残されています。

スペイン風教会の中庭と回廊 太陽の神殿跡からクスコの街並みを眺める

太陽の神殿といわれる部屋です。
発掘された遺跡部分全体に屋根が
かけられ並んだ部屋全部、
同じ位置に窓が開けられて
見通すことができます。
星の神殿です。
他にもいろいろの神殿といわれる部屋が
ありました。
太陽の神殿
(狭い部屋のことではなくて
建物全体のことのようでした)
からクスコの街を見下ろせます。

12角の石というのは、
有名なロレト通りという通りにあるのかと
思ったら、違ったようでした。
狭い路地のような通りに、
それでも立派なインカの石組みが
そのまま残り、
上は普通の住居なのか
今も現役のようです。
12角の石は右側の壁にあります。
左の壁は後の時代のもので
雑なつくりです。

いかにもスペイン風のアルマス広場。近くの店で明日の水を確保しました。
教会といい、アルマス広場といい、完全スペイン風。それまでの独自の文化と人々の営みを消滅させて、許せないと義憤にかられてしまいます。絶対にスペインには行かないぞと決心しそうになりました。
あまりに短絡的ですね。当事者でもないただの観光客がそんなこと言っていいのか? 日本は今まで他国に何もしなかったか? それにしても、この地の貧しさ。手に負えない難しい問題で、いつもののーてんきに戻るしかありません。

夕食は昨夜と同じ、ホテル内のレストランで。楽団は昨日と違う3人組。今夜はショウがあるということで座って待ちます。スペイン風ダンスがこちら風にアレンジされたという、これもやはり民族舞踊になるのか、ハンカチを振り回し、やたらスカートをひらひらさせるダンスで、すぐそばで食事中だからちょっと気になりました。

ここは海抜3500メートル。今まで標高といっていたのに、突然海抜の言葉が頭に浮かびました。高地では腹七分目、アルコールやめ、入浴やめ。大声を出さず、すべてにゆっくりしたおかげで、誰も高山病にもならず、気持ちよく旅を続けています。