南米21日間の旅
19日目 3月27日(木) 晴れ
長時間飛行中断のため復路もロサンゼルスで一泊

地平線が一筋濃いピンク色に染まり、それがずっと続いて飽きずみとれていました。ロサンゼルスに近づいたら、山頂から順に砂漠、街に明るさが広がって到着。6:40。乗っていたのは8時間半。リオ・デ・ジャネイロまで飛んだ往路より4時間も短くなりました。

早朝で、疲れてじっとしていたい気分でしたが、みなさんはまた、チャイニーズシアターの免税店で買い物するというので、手配してもらった運転手つきレンタカーのミニバスで、ハリウッドまで繰り出すのにお付き合いしました。ただじっとホテルで休むよりは、2回目同じところでも出かけたのはよかった。

ロスの陽光はカラリと明るい。人の気持ちを軽く明るくしてくれます。前回バスでただ通っただけのロデオ通りを、歩こうよというNoさんの希望で歩きました。人通りのほとんどない静かな通りの、立派でおしゃれなビルの入り口で、突然鳴り始めた警報ベル。次々に数分で到着する消防車、はしご車、パトカー、ヘリ。えぇーっ、火事?日本でも本物を見たことないのに、消防士が身支度したり、スルスルとはしごが伸びたり。ドキドキして見守りましたが、火も煙も見えないし、他に見物人もいないし、大したことなかったみたい。

運転手さん川名氏がガイドも兼ねて、数字を連発しての詳しいロス案内をしてくれました。ロサンゼルスの人口は1360万人。ニューヨーク1700万人に次いで全米2位。面積は1位。関東平野に匹敵する広さだそうです。人口比率は、ヒスパニック40%、白人30%、アジア人10%〜15%、残りは黒人と混血ということでしょうか。さすがに中米に接する州です。
南米でおなじみになったパンアメリカンハイウェイを通りながら、市内をひとりで乗用車に乗っては走れないとか、時間帯によっては、3人以上乗っていないとだめということもあると聞くと、3週間前に来た時に、ガソリン垂れ流し、環境悪化の張本人、と批判ばかりじゃいけないかと思ったけれど、やっぱり間違っていたわけでもないのか。ただ環境悪化よりは、ここの人たちは渋滞を問題にしているだけでしょう。

丘の上に一軒だけ建っている、トム・クルーズの元豪邸。さすが大スター。個人の家とは思えないすごさ。何故元かというと、熱狂的な女性ファンが、毎晩のようにこの丘をよじ登って、不法侵入を繰り返して、いやになった彼が家を手放したのだとか。スターも大変。すっかりミーハーになりきり、写真を撮りました。

同じ街を2度見て歩くと、たとえバスで走っただけでも、街や通りの様子、全体的な雰囲気が霧が晴れたように見えてきた感じがして、ロスにいるという実感がわきました。お昼は、リトルトーキョウで、ほとんどみんなが鍋焼きうどんを注文。もうすぐ日本なんだけど、3週間食べ慣れないご馳走続き。汁つきの麺はいいです。落ち着きます。

20日目 3月28日(金) 晴れ

4:00起き。空港へは4時間前に入りました。ほとんど人がいなくて、職員も手持ち無沙汰の様子。荷物検査のおにいさん、スマイルスマイルとアドバイスのつもりのよう。1時間待ってようやくチェックイン。一段と厳しいとは言いながら、私たちは問題もなく通り、遂に日本に帰る飛行機に乗ることになりました。

≪日付変更線を通過して翌29日となる≫

21日目 3月29日(土) くもり?

13:35成田到着。スーツケースを宅配便に預けて、乗換えまでのしばらくの間成田空港を切手を求めてうろうろしました。というのは、早朝のロスのホテルと空港で切手が手に入らず、前夜書いた絵葉書を結局日本まで持ってきてしまったので、せめて成田で、と考えたのですが・・・今日は土曜日。空港内の郵便局は休み。切手の自動販売機も見当たらない。仕方ない。家まで持って帰りました。17:55全日空機で伊丹空港へ。19:15伊丹に到着。

南米21日間の長い旅。いろいろありました。だけど行ってよかった。3週間ぶりに帰ってきた日本は涼しく、気持ちよく、桜は満開。ただいまぁ。無事に帰りましたぁ。 疲れましたぁ。