5日目 3月13日(木) くもり
アルゼンチンタンゴ発祥の地、ブエノスアイレス

リオ・デ・ジャネイロ発10:45。サン・パウロは乗換えだけ。15:00過ぎに着いたブエノスアイレスでは、アルゼンチンタンゴ発祥の地、ボカ地区を見学しました。アルゼンチンは国が財政破綻したという国。ますます治安が悪くなったそうです。 
現地ガイドの日本人おねえさん佐藤やよいさんは若く美しくほっそり美人。添乗氏大いに喜びます。狭い路地みたいなところに、壁が色とりどりの家が並び、数人の画家の卵らしいのが、アルゼンチンタンゴの絵をひっそりと掲げているのがそれらしいというだけのところでした。






すぐ裏が港で、昔、水夫と娼婦がバーで踊ったのが最初といわれると、その港町らしい雰囲気と合わせて納得という感じです。当時、一般家庭ではタンゴはご法度。その後どんどん洗練されて、一種独特のリズムと切れのいいダンスで、私たち世代には懐かしい音楽です。



夜はなんてったってタンゴショー

夕食は9時から、セニョール・タンゴという元米大統領クリントン氏も来たというタンゴショーの店で。信じられない30センチ×10センチ×5センチのアルゼンチン牛の巨大ステーキは、赤ワインで流し込んでも半分も食べられません。ここにもリオのサンバショーと同じく、世界中からの観光客が来ているようで、食事をしながら、舞台狭しと踊りまくるタンゴを見て楽しむのです。テーブルの高さのすぐ横の舞台で派手な足さばき。ステーキにもワインにも埃がかかっていそうで、ますます食べられなくなります。同じ混血でも、ブラジル・サンバショーのほうは、ナイスバディの黒人系らしい人が多いようでしたが、こちらは少し細身で褐色。男女とも背が低い。アクロバットのような足さばきには合っています。夜遅いし、疲れてもいるし、お酒と強烈な音楽でうつらうつらと寝てしまったのは私だけではなかった・・・ようでした。

途中で出てきて思い入れたっぷりにタンゴを歌うもう若くはない男性歌手。サンバショーの時のように、各国の人々に呼びかけ、なにやら語りかけて受けています。そのうちに私たちのほうを見ながら何か話し、他の観客たちは不審なまなざしでこちらを見ています。どうやらうたた寝したことをからかっているらしいのです。
そのうちに荒城の月を歌いだしました。促されてわたしたちも小声で斉唱。なんとそのまま2番までいくではありませんか。1番でさえもううろ覚えではっきりしない歌詞をやっとメロディにのせているのに・・・ところが・・・驚いたことに!さすがは71歳知性派Hiさん。きれいな声量のあるソプラノで、誰も覚えていない意味もよく分からない歌詞を最後まで歌うのです。そのまま3番でも4番でも、全部歌えたでしょう。うたた寝の恥ずかしさが吹き飛ぶ、われら日本人の面目躍如のできごとでした。タンゴ歌手のおっちゃんも観客も盛大な拍手をしてくれたのでした。


今夜一泊だけのホテルは、茶色の大河ラプラタ川に面していました。堂々たる大河です。海か湖か、流れているというよりも波打っている感じです。
ブエノスアイレスに来るよそのビジネスマンはすぐ分かるのだとか。スーツかネクタイ姿だから。地元の人たちはポロシャツやTシャツに半ズボンの軽装で、タンクトップまがいの女性もビジネス街で働く人だそうです。うーん、この人たちが・・・・・・首都のビジネスマン。
混血の度合いが進んで、白人系とか、黒人系とか、アジア系とかそんな分け方は意味をなさないように見えます。人種的偏見や差別なんかなくて当然と思いました。ところが現実は、絶対的な白人優先の社会なのだそうです。先ず差別ありきで、貧富の差、教育の差、などがますます差別を広げているのでしょうか。