トルコ 正味 2日半


(3) 3日目  10月8日(月) 晴れ

昨夜夕食後、ついに米英軍によるアフガニスタン空爆が始まったと添乗員さんから知らされ、恐れていたことが・・・とみんなで顔を見合わせました。当初12名参加の予定だったのが、同時多発テロが起こって、半分の6名で出発したのでした。
日本外務省がイスラム圏全体を ‘海外危険情報2’ と指定して、該当地にいる観光旅行者の帰国勧告を出したというのです。
以来、がっくり、悲しくて、何とか1日でも長くトルコにいられないかとみんなであれこれ言ってはみましたが、旅行社としては外務省のお達しを無視することなどできるわけもなく、できるだけ早い飛行機で帰国と決定。
外を見て歩いたり、みやげもの屋さんを冷やかしたりしている間はいいけれど、移動のバスに乗るとおもわずため息。疲れましたか?とZiyaさんに心配されました。出るはため息ばかり。 はあぁ・・・あぁ・・・

それでも昼食は立派な城門に見えるレストランで、おいしいトルコ料理に舌鼓を打ちました。
日本との連絡でホテル待機、動けなかった添乗員さんがここで合流。
トルコが大好きで、プライベートでも何度も来ているという添乗員さんが、今回のガイドさんはとてもいい人で、自分も皆さんも本当によかったですよぉ〜と言っていたのが、このときもいろいろなところで感じられました。

観光用ラクダ2頭が客待ちをしていました。昔遊牧民だった頃の名残らしい。現在のトルコ人はオスマントルコでも、セルジュクトルコでもなく、Ziyaさんのお母さんはギリシャ系。奥さんはクルド人だそうです。トルコと紛争中の国と、独立を望む国内の少数民族。
さすがに文明の十字路といわれ、イスタンブールの町がヨーロッパとアジアにまたがっている国ですね。当然文明と民族は混ざり合って今のトルコをつくっているのでしょう。
蒙古はんの出る人がいて、言語は日本語や韓国語のように、主語の後に修飾語や目的語がきて、述語は最後にくるそうです。
政治的にはヨーロッパ的であろうとしていても、アジア人の意識も強く、いろいろな理由で日本人好きというのはよく知られていますね。



≪カイマクルの地下都市≫

せめて、いる間は楽しもうと気持ちを切り替えて、午後はカイマクルの地下都市を見学。
イスラムの攻撃が続く間隠れ住んだキリスト教徒の集団生活の場と考えられているそうです。
土ではない、岩をくりぬいているわけですが、それでも驚くことばかりです。見学できるのは地下4階までですが、8階まであって、教会は勿論、台所、食堂、寝室、ワインつくりの部屋、食料保存庫、墓地まであります。計算すると1度に1万人が暮らせるだけの施設になっているとか。なるほど都市だ。すすで黒くなった天井や、攻め込まれたら、丸い大岩を扉として転がして閉めることができるようにもなっていました。

空気は?水は?と聞くと、直径2メートルもありそうな大変深いたて穴があって、それが空気穴。通路や部屋はそれを中心にして掘り進めたようです。水は確かに問題で、外に見つかった井戸は遠いし、川も遠い。今もあちこちに同じような地下都市が発見されているけれど、まだまだ分からないことが多いのだとか。何十年もここで暮らして、攻撃の恐れがなくなれば生活道具を持って外に出て暮らしたといいます。中に何も残っていないことの説明です。
今のトルコ人の95%はイスラム教徒ですから、キリスト教徒を迫害したのが原因の遺跡を外国人観光客に見せて説明するのは、いくら昔のことでも話しにくいのでしょう。洞窟教会のフレスコ画の説明のときにも、仲良くしたこともあったのだと強調するZiyaさんでした。



≪奇岩の過去現在未来≫

その後、昨日と違う赤い谷をミニハイキングしたり、三姉妹の妖精の煙突と呼ばれる巨大きのこ岩のあるパシャバ地区を見て歩きました。
カッパドキアは今もまだ浸食と崩壊でその姿を変える変貌期の途中にあって、ひと眺めの中に、カッパドキアのというよりも地球の過去、現在、未来の姿を見ることができます。何万年単位の時間の推移が、頭ではなく視覚や皮膚感覚で感じられて、興奮してしまいます。
白っぽい岩山の中に隠れているきのこ岩の赤ちゃんたちが、山の中から掘り出されていくような感じです。

赤い谷で、白い柔らかい部分が崩れ、赤い硬い部分が現れる
赤い谷は、一目でそれが見渡せる場所です。向こうの山はまだ山の形が残っていますが、下の方から帽子をかぶったような赤い岩がどんぐりの背比べのように並んで出てきています。見た感じでも溶岩が固まった後、火山灰が長い年月かけて溶岩の上に降り積もって岩となったのが、風雨や日射で再び溶けたように流れ落ちたと感じます。
白い部分がすっかりなくなって右のラクダ型の赤い岩だけ残ったのですね。

上は白い部分がなくなってから大分たった場所でしょう。いずれカッパドキアのほとんどが形はいろいろでもこのようになって、それもまたいつかは激しい気候や地殻の変動がなくても、このまま風化してなくなってしまうのでしょう。その頃人類は・・・?なんてあまり意味がないけれど、つい・・・

妖精の煙突といわれる巨大きのこ岩が林立するパシャバ地区です。
右は中でも、三姉妹の妖精の煙突といわれているそうです。日本人にはマツタケに見えますが、ま、家の煙突に見えなくもありません。

巨大キノコ岩の多いパシャバ地区のそばの岩山です。未来の妖精の煙突たちが掘り出されるのを並んで待っているようです。



トルコは青

トルコではずっと快晴で、まったく雲ひとつ見えません。この青空とトルコ石の青で、トルコは青という印象が強まりました。

明日がどうなるか分からない不安の中、おみやげやさんにはしっかり2軒も寄りました。絨毯研究所という名の製造販売所で、生糸をつむぐところから順に、若いというよりまだ子どもの女性が手で織るところを見学しました。細い絹糸1本1本を縦糸にかけて1目ごとに結ぶ大変な作業を驚異的なスピードでやっていますが、1日中織り続けて何ヶ月も何年もかかるというのが分かります。大きさや模様の複雑度で、値段はそのかかった時間に当然比例するわけです。
若い女性は細かい作業を緻密に仕上げるのに向いているから、嫁入り支度を絨毯つくりで稼ぐのだそうです。

最後は、何人もの男たちが広い床に次々絨毯を広げて、上手な日本語でひとりも逃がすものかという熱意溢れる営業トーク。マンツーマンというよりこちらひとりに向こうふたりくらいで販売に当たります。先ず何百万円もする立派なものを見せて驚かせ、どんどん小さいものにして、これなら・・・と思わせる巧みさ。小さいけれどきれいな青い壁掛け用のものをひとつ買いました。見ると皆さん、買われています。日本人はいいカモ、いえ、いい客でしょうねぇ。

次に行ったトルコ石やさんでは、単価が安いこともあって、おみやげにと思われるのか、皆さん熱心に選んでおられます。私も小さいペンダントとシンプルな金の鎖を買いました。別に脅されたわけではなく、自分の意志で買ったけれど、買わずに出にくい雰囲気はありました。
青い絨毯に青い石。トルコのいい記念になると思うことにして、自分に甘い旅行者です。