南米21日間の旅
17日目 3月25日(火) 晴れ (3)
チチカカ湖が見えたぁ!

小高い峠から、チチカカ湖が見えてきたときには、やったぁ、とうとう来た!これが富士山より高いところにある、琵琶湖の12倍の湖かぁと、胸がいっぱいになりました。
うんっ?だけどそれにしては小さい。見えているのは湖全体のほんの一部で、ここは入り江になっているのだそうです。
テレビの旅番組で見ていた時には、なんというか、人跡未踏まで行かなくても、人の住んでいるところから相当離れた場所だと想像していました。違いました。湖に面して大きなプーノという町があって、まわりを小高い山に囲まれた見た目は普通の湖です。左のほうからちょっと突き出た半島に見える、本当は小島に瀟洒な白亜の建物が見えて、それがこれから行く私たちのホテルだそうです。


その峠で、ブチ模様のかわいい、親子らしいアルパカ2頭を連れた少年たちが通りかかったら、クスコからバスに乗って、いろいろ案内してくれていたガイドのミゲール氏が、「何もやらないで、学校に行かなくなるから。」と言いました。私たちが現地の人に1ドル札を渡しては一緒に写真を撮らせてもらうという姿を見てきたからでしょう。きっと他の観光客たちも同じなのでしょう。

葦の浮島ウロス島

時間短縮の効果は大きく、3:00頃ホテルに着いたらすぐに、ホテル前の船着場からボートに乗って、有名な葦でできた浮島ウロス島を訪ねました。
ウロス島というのは、ひとつの島ではなくて、大きなチチカカ湖の湾の中にある、葦の1種トトラでできた沢山ある島全部のことをそう呼ぶそうです。 浮島だから、強風の翌日は相当流されることもあるというし、他の島とくっついたり、都合が悪くなると引き離したり、自由自在だそうです。2つの島に上陸?!させてもらいました。ひとつの島は意外に小さく、トトラでできた家や、トイレ、店、鳥の剥製展示場、など合わせても建物10戸にもなりません。きっと観光用の浮島なのでしょう。

みんな元気でひとりの落伍者もなく、4335メートルの峠を越えて、最終地のチチカカ湖まで来られて、添乗氏もうれしかったのでしょう。予定になかったトトラ舟に乗せてくれ、次の島まで移動しました。

その島にはトトラではない木と鉄骨とトタンを使った建物3棟がありました。フジモリ氏が建てた学校だそうです。
トトラの島に鉄骨の建物は違和感ありますが、教育は大切です。雨漏りしない、風でも寒くない建物は必要です。そこいら辺にいた子ども10人がさっと1列に並んで座りました。午後は学校は休みということでしたが、残しておいたのか、この島の子どもたちなのか。

ミゲールさんが子どもたちに、ケチュア語でなくスペイン語で、何か言うと、さくらさくらを日本語で一斉に歌いだしました。子どもを観光の具に使うなんてと最初いやな感じがしましたが、そのあとその場に一緒にいたグループの人の国らしいドイツ語の歌も歌い、つぎつぎと、英語、フランス語、スペイン語、見事に歌いました。
最後にミゲールさんが、日本語で別れの言葉を言うようにと呼びかけます。
なかなか出なかった“さようなら”が左端のちょっと年長の女の子から出て、みんな大拍手でした。本人もはにかみながらも得意そうで、賢そうなその子も他のみんなも、この先幸せな人生を送ってほしいものだと心から祈りました。

このミゲール氏、もしかして学校の先生じゃないかな。紀行本に、先生のお給料はとても安くて、ガイドのアルバイトをすることがあると書いてありました。

Noさんご主人が全員にいつもの3色ボールペンを渡して、色違いのペン先の出し方を説明。今度はミゲール氏何も言いません。子どもたちもうれしそうにどこからか紙を出して書いています。帰ろうとボートの方に行こうとしたら、子どもたちがばらばらと飛び出し、絵葉書や自分の書いた絵を買ってくれと取り囲みます。ひとりから買うと他の全員が手を出して収拾がつかなくなりました。ふたりから買って、逃げるように船に乗りました。ごめんね、みんなからは買えない。

ホテルのリベルタドール イスラ エステベスは、どの本にも書いてある通り、どの部屋からもチチカカ湖が見える最高の立地で、クスコのリベルタドールと同じ系列なのでしょう。全体にゆったりと広く、インテリア、調度品すべてに神経が行き届いた、とても居心地のいいホテルでした。観光客による水の汚染(多分)他のもろもろに目をつぶって、観光地として最後のクスコとチチカカ湖が気持ちよくくつろげるリベルタドール系ホテルでよかったぁというのが正直な感想です。おかげでこの旅をとてもいい印象で終えることができました。