
2日目 3月10日(月) 晴れ
ロサンゼルス発13:30。ブラジルのリオ・デ・ジャネイロまでVARIGブラジル機で、サンパウロを経て、12時間40分。機内泊は2度目。途切れ途切れだけど一昨夜より眠れて、気分が大分ましに。
前の席の白人ベイビー、いっかな寝ようとせず、座席に立ってよくうしろをのぞきます。おしゃぶりを落としたのを、うしろの青年が探して拾ってあげたのが気に入ってしまって、次は狙って口から落とすのです。横の親は寝ている様子。私たちも寝たフリ。赤ちゃんは洋の東西を問わず同じで笑ってしまいます。
3日目 3月11日(火) うすぐもり
はるか遠くへ来たものだ、リオ・デ・ジャネイロは地球の反対側 |
リオ・デ・ジャネイロ 到着8:00の予定でした。確かこの時2時間早く着いたような気がします。ロスとの時差は5時間。思ったより暑い。だけど、ガイドの西山さんは、曇っているから気温が上がらずよかったといいます。今28度。昨日32度。この夏の最高気温48度。街頭のあちこちに気温表示があります。みんなそんなに気温に敏感なのでしょうか。
彼女は日系2世の中年女性。ブラジルの日系人はもう5世6世の時代だそうです。現地で見てこその風景がバスの車窓から目に飛び込んできます。
高いところへどんどん上がっていくスラム街。観光客はリオでは高いところへ上がってはいけないといわれました。治安がどんどん悪くなっているそうです。昔見た映画“黒いオルフェ”を思い出しました。高い丘に住む貧しい男女のなんだか悲しいお話でした。
ブラジルの人口比率は、白人13%、白人と黒人の混血36%、日本人5%。残りはいろいろ。彼女が言うには、合衆国があんなに豊かな国になったのは、アングロサクソンがつくった国だからで、貧しい中南米は、ラテン系ののんびり派、ポルトガル、スペイン、イタリアからの移民が多いから、だそうです。
ブラジルの中間層は共稼ぎが多く、家事はメイド任せとか。
1世は農業従事。2世には教育を受けさせ医者か歯医者に。3世になってようやく弁護士とか政治家が出てくるというのです。3世にならないと、言葉を使う仕事は難しいと。なるほど。
南米最初の観光は、巨大キリスト像の立つコルコバードの丘へ。
ゴトゴト登る真っ赤な登山電車は車両も技術も当時最先端だったスイスのものだそうです。早くからリオ・デ・ジャネイロは観光都市だったのか。まわりの木の枝がぶちぶち当たる楽しい観光列車です。
横には、日本で小さい枝を観葉植物として、ゴムの木
と呼んでいる大木が茂り、幹から直接大きな実のなる木があり、ハイビスカスに似ているけれどつぼみのままで開かない赤い花がいっぱい。そのあと階段を300段くらい登って、キリスト像の真後ろに出ました。
今まで、キリスト像のあるコルコバードの丘と、この後行くポン・ジ・アスーカル(フランスパンを半分立てたような大岩)を岬にあるひとつの岩と勘違いしていました。
ポルトガル語で川を意味する“リオ”の名を最初間違ってつけたほど、リオの湾はとても複雑に入り組んでいて、どちらもむしろ街の中の山といったほうがいいくらいです。世界中から集まってきたかと思う観光客の多様さで、ここがどんなに有名な観光地か分かります。地球の真裏まで来たんだなぁという感慨に満たされました。
昼食は、イパネマビーチのすぐ前のシーフードレストランで。ブラジルの家庭料理が受けているそうで、隣のテーブルでは、現地の人らしい肌の色も多彩な複雑混血系の熟年おばちゃんたちが、久しぶりなのか抱き合ってキスして懐かしそうで、同窓会かしらと想像してしまいました。料理は、ムケカという魚の鍋料理がメイン。ご飯はインディカ米でぱさぱさだけど、乾燥地で香辛料の効いたおかずによく合っています。
窓の外の景色は、タイルを敷き詰めたような浜辺の道を、老若男女のふたりづれが通り、自転車が通り、波がないから子供だましのような波乗りが見えます。映画の1シーンのような、意外に静かな有名ビーチ。じわじわと旅の喜びが沸いてきました。
ホテルに帰ってから夕方、参りました。Miさんから電話が入り、しばらく荷物を預かって欲しいというのです。バスルームの電話で取ったので、入浴中で無理だと断ったら、何分後に出るかと、5分? 10分? とたたみかけられて、こりゃ大変だ。時間を気にしない人の荷物を預かって、いつ戻ってこられるかと自室でじっと待たなければならないのはかなわないし、私もすぐ出かけるから無理だと丁重にお断りしました。
翌日他の方から聞いたところでは、夕方からは絶対だめと厳重注意された前の海、コパカバーナビーチに泳ぎに出たのだそうで、岩で怪我したとおでこにあざを作っておられました。治安の悪さについていくら聞かされても、確かに私たち日本人はぴんとこないということはありますが、それにしても・・・ひとりでとは・・・びっくりです。コパカバーナビーチで泳いだ思い出は、忘れがたいものになったでしょうけれど。
夜の食事は、8時頃から、海の上に張り出したオープンテラスのいかにも観光客用という感じのシーフードレストランで、串に刺されてぶら下げられたえびの料理がかわいいとか。 かわいい!?
ブラジルの地酒にレモンと砂糖と氷を入れたチュウハイっぽいお酒を頼んだのは私ひとり。えぇっ!お酒好きは私だけ?土地のお酒は飲んでみなくちゃ。甘くて冷たくて飲みやすいけれど、ちと物足りなかった。
対岸の灯りが波に揺れて、ポン・ジ・アスーカルがぼんやり浮かぶ夜景はロマンチック。こういう景色は恋人と静かに酌み交わしながら眺めるのがいい。アルコールの勢いもあって、夫のための3度の食事作りは負担だとわめいて、男性陣の顰蹙を買ってたんじゃ、静かにふたりがいい、が聞いてあきれるというもの。自重自重。
食事のあと10時から、場所を変えてサンバショー。おもわず耳をふさいでしまう大音量。重そうな派手な衣装を優雅にゆすって見事なボディを見せてくれます。いろんな国から来ている人に司会者が各国語で呼びかけみんなを喜ばせます。何ヶ国語でしょう。決まりきったせりふを覚えただけなのかもしれませんが、それにしても何十カ国もです。私たち日本人グループが1番に舞台に上がらされ、“上を向いて歩こう”を歌わせられました。ちょっと恥ずかしいけれど、2度とないことだから、のりのりで手を振り足を踏み鳴らし。ショーが終わったのが12時。日本人にはつらい時間です。
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